倉本新会長 4つの柱でPGA一新!決意の6年計画語る

[ 2014年3月13日 05:58 ]

PGA改革への熱い思いを語る倉本新会長

 日本プロゴルフ協会(PGA)の新トップに就任した倉本昌弘会長(58)が、単独インタビューに応じPGAの改革プランについて熱く語った。業界の発展のためPGAのライセンスを持つ約5000人の会員のスキルアップやレギュラーツアーを統括する日本ゴルフツアー機構(JGTO)との連携にも言及。さらにはシニアツアーのPRのため開幕戦の金秀シニア沖縄オープン(4月18日開幕、喜瀬CC)に選手として出場し、優勝を目指すと宣言した。

 PGA元幹部の暴力団幹部との交際問題で執行部が総辞職し、出直し選挙の末に船出した「倉本丸」。就任会見で、新会長は組織改革などのマニフェスト(公約)を掲げた。

 ――まず問題の発端となった暴力団対策は。

 「資格停止、除名もいとわず厳しく罰する。同時に我々は不特定多数の人にレッスンをしたりしなければならない。その中で気づかないうちに、会員がそういう付き合いを持たされたりすることもあるかもしれない。その時は、会員をしっかり守っていく」

 ――3期6年をかけて改革に全力を投じると話した。

 「マニフェストを出したということは退路を断ったということ。これをやらなかったら“倉本は口ばっかりで、何もできないじゃないか”と言われる。それくらい(6年)かけて組織改革、制度改革、会員の意識改革をやっていきたい」

 PGAは男子プロゴルファーによって組織された公益社団法人で、プロライセンスの資格認定やシニアツアーの運営などを主な業務としている。プロ資格を持つ会員は現在5280人(1月末)。倉本会長はPGA改革の具体案として(1)底辺拡大事業の推進(2)PGAスクールの確立(3)組織改革(4)JGTOとの連携―の4つを柱にするとした。

 ――トーナメントで食べていけるのは一握り。それ以外はレッスンなどが主な収入源。そうした会員を抱えるPGAの将来の展望をどう描いているのか。

 「ゴルフ業界のレッスン市場の規模は100~120億円。それが2020年には80億くらいに減ると予想されている。一方で我々の会員は7000、8000人と増え続ける。パイを広げないと食べていけなくなる」

 ――それだけの会員を食べさせていくのは大変だ。

 「時代のニーズに合った会員づくりをしていく必要がある」

 ――具体的には。

 「日本にはゴルフ場が2400ある。(そこに)ヘッドプロだけでなく芝草管理や経営のことが分かるようなプロゴルファーが入れるようになれば、3人で7000近い職場が出来ることになる。我々は底辺拡大に力を注ぎながら、一方でゴルフ場に、いかにいい人材を送り込むかという、両面からやっていく必要がある」

 ――そうした教育システムを作るのか。

 「自分たちでそれを作ったら莫大な費用がかかる。例えば会員が(スキルアップのために)簿記二級を取ったり、英検一級を取ったらその費用の何%かを補助するとか。本当に勉強する意志を持っていて、自分がスキルアップするんだという高い志向を持った人を我々は引き上げる」

 ――マニフェストにある底辺拡大事業の推進とは。

 「一般の人たちにいかにゴルフに興味を持ってもらい、習ってもらえるようにするかということ。例えば練習場でレッスンした後にハーフを回りましょうとか、地方ではそういうプランも結構出ている。スポーツをする時間は1・5時間くらいがいいと言われているので、6ホールとか3ホールのプレーなどを含めてゴルフ場に提案していかなければと思っている」

 ――(99年にPGAから独立した)JGTOとの連携は。

 「JGTOにPGAのロゴ(JGTO設立以前に使っていたもの)を使ってもらうことや(トーナメントや選手の)データの共有化を進めていきたい。ホームページ(公式サイト)を一つにすることも考えられる。そしてもう一つは(PGAとJGTOの)事務局の連携。PGAは景気がいい時にトーナメントの運営をやっていた。基本的に右肩上がりのトーナメント運営。JGTOとは全く違うノウハウを持っている。PGAにはいいノウハウがいっぱいあるので、お互いに知恵を出し合えばいい運営が出来る。20年東京五輪に向けてお互いに手を携えてやっていければと思う」

 ――会長就任後もシニアの試合には出る。

 「スポンサーのみなさんに挨拶回りをしていた時に“どうしましょうか”と言ったらら“ぜひ出てくれ”と言われた。会長として試合に出て、もし勝ったりすれば、記事も大きくなるだろう。そういう意味で、僕はシニアツアーの広告塔でいいと思っている。開幕戦の金秀にも出る。みなさん注目してくれると思うし、優勝も目指したい」  

 ◆倉本昌弘(くらもと・まさひろ)1955年(昭30)9月9日生まれ、広島県出身。日大在学中に日本学生、日本アマなどで優勝。アマとしてツアー競技の中四国オープンでも優勝。プロ転向後の81年に4勝を挙げ賞金ランク2位。82年全英オープンでは日本人歴代最高の4位。10年日本シニアオープン優勝。ツアー通算30勝。永久シード選手。1メートル64、66キロ。 

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