スノボ女子初メダル!ソチ女子1号!智香「満足」銀の輝き

[ 2014年2月20日 05:30 ]

銀メダルに輝き喜ぶ竹内

ソチ五輪スノーボード女子パラレル大回転

(2月19日)
 スノーボードの女子パラレル大回転が19日に行われ、4大会連続出場の竹内智香(ともか、30=広島ガス)が銀メダルを獲得した。予選をトップ通過すると決勝トーナメントも順当に勝ち上がり、準決勝はイナ・メシク(23=オーストリア)に勝利。決勝ではパトリツィア・クンマー(26=スイス)に敗れたが、スノーボードの日本女子に初メダルをもたらした。今大会の日本勢は7個目のメダルで、女子では第1号。竹内は22日のパラレル回転で再びメダルを狙う。

 スタート台に立った時、竹内は4年前とは違う自分の気持ちに気付いた。「支えてもらった日本に感謝して恩返ししたい」。前回は「日本のやり方が正しくないと証明したかった」と考えていた。その違いが成長だった。決勝2回目を滑り終えると笑顔でスタンドに手を振った。その先には日の丸が掲げられていた。

 金メダルを懸けた相手は、直前のW杯でも決勝で敗れたクンマー。左側の赤コースを滑った1回目は0秒3差でリードしたが「青コースの方が若干遅い。0秒5以下はないに等しい」と覚悟。2回目は最後の緩斜面から急斜面に入るところでリードを許し、挽回しようと攻めたところで転倒した。

 「リスクを背負った結果、失敗した。でも全てが正しい判断だったので今は満足している」

 その「判断」はこの日のレースに限った話ではない。トリノ五輪後の07年にレベルアップを求めて海外へ。いくつものチームに断られながらスイスチームに“入門”が許された。練習の合間に語学学校に通ってドイツ語を習得。「チームに残るためムードメーカーを買って出ていた」と生き残るのに必死だった。

 昨春、スイスを訪れた母・裕子さん(59)とドライブに出掛けた。「よくここまでやってきたね」という優しい言葉に、竹内は運転中なのに涙が止まらなくなった。日本にいればしなくてもよかった苦労の数々。「それがきょうの強さにつながったかな」と銀メダルで報われた。

 スイスでの経験に加え、ソチへの転機は昨季から日本チームで活動し始めたことだ。11年に招へいしたスタドラー・コーチから「メダルを獲りたいなら日本の中で応援されて戦うことが大事」と諭され、5年間いたスイスに別れを告げた。それまでは日本独特の団体行動を重視することなどに不満があったが「自分でやる力を身に付けた後に戻ると楽だった」と国立スポーツ科学センターの低酸素トレーニング室など恵まれた施設を徹底活用。決勝まで10本滑りきるフィジカルを磨いた。「環境に満足できない部分もあったけど、今はそれが日本の歴史と納得できる。そういう意味では大人になれたのかな」

 人間的にも滑りの面でも丸くなった。スイス時代のようにエッジを立てた「男子のような」カービングのみを追求するのではなく、板をずらすスライドターンとの使い分けを覚えた。今大会の板も柔らかさを持たせて、幅広い状況に対応できるようにした。それが気温の高いソチでも生きた。

 独立独歩の精神を持ち、一人で立つことのできる人間が、さらに周囲に支えられている。これほど強いものはない。「表彰台に上がれたきょう一日もうれしいけど、この何年間かやってきたことの方が価値があるな」。銀メダルよりも自らの歩んできた道のりを誇るように竹内は言った。

 【竹内の過去の五輪】

 ☆02年ソルトレークシティー(22位)18歳の高校3年で五輪初出場も予選で43秒76と振るわず、決勝トーナメントに進めなかった。緊張からスタート直後の第1、2旗門でバランスを崩すミス。涙で引き揚げ「悔しい。精神面、技術、体力とも足りていないのに、いい結果が出るわけない」と話した。

 ☆06年トリノ(9位)予選を9位で通過し、決勝トーナメント1回戦ではギュンター(オーストリア)と対戦。1回目で0秒1差をつけられ、2回目も及ばず。悔し涙を流し「何が何でも勝ちたいと思い、力が入ってしまった。下半身が動かず、上半身だけの滑りになった」と声を振り絞った。

 ☆10年バンクーバー(13位)豪雨でコースが荒れる中、予選を10位通過。リーグラー(オーストリア)との決勝トーナメント1回戦は1回目で0秒79遅れ、2回目はコースアウトして12秒68差の完敗。目に涙をため「悔しい。どうやったら世界と戦えるか、ここで結果を残して伝えたかった」と声を詰まらせた。

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