皆川引退 ソチ五輪代表入り可能性消滅で

[ 2014年1月20日 05:30 ]

今季限りで現役を退く意向を表明した、アルペンスキー男子の皆川賢太郎選手

アルペンスキーW杯男子回転第5戦

(1月19日 スイス・ウェンゲン)
 日本男子の中軸として長く活躍し、06年トリノ五輪の回転で3位と0秒03差の4位に入った皆川賢太郎(36=ドーム)が、1回目に途中棄権し、ソチ五輪代表入りの可能性が消滅したため、今季限りでの現役引退を表明した。09年6月にはフリースタイル女子モーグルの上村愛子(34=北野建設)と結婚。10年バンクーバー五輪はそろって出場したが、ソチの舞台に夫婦で立つことはかなわなかった。

 五輪派遣基準の8位以内を狙った皆川は、旗門を回り込めず無念のコースアウト。開口一番「難しい」とうめいた。今季復帰したW杯4戦で一度も2回目に進めず、全日本スキー連盟が定めた五輪派遣基準を満たせなかった。上村との夫婦での2大会連続五輪も消滅。「もう十分かな。自分としてはよくやった」。屈託のない笑顔で汗を拭い、現役を退く考えを明かした。

 時代の申し子だった。98年長野五輪後、トップレーサーの間で急速に広まったカービングスキーの扱いは日本一。スキーをずらさず、たわませてターンするコンパクトな滑りで新世代の旗頭となった。56年コルティナダンペッツォ五輪で猪谷千春が銀メダルを獲得して以来、木村公宣ら歴代のエースたちが届かなかった入賞の扉を、「人間の資質と選手としての能力の接点が、ちょうど良く交わった」と言う06年トリノ五輪で半世紀ぶりにこじ開けた。

 1回目に途中棄権した10年バンクーバー五輪後に一度は引退の意向を固めたが、翻意しソチを目指した。競技に打ち込む一方で「スキーがなくなってしまうと大変」と第二の人生の青写真を描き、専門外の活動にも取り組んだ。資金難で日本開催が途絶えていたモーグルのW杯を再開させるため、故郷の新潟へ夫婦で出向いて関係者を説得。12年2月の開催を実現させたこともある。

 今季は旧知のスポーツメーカー社長の支援でチームを発足。1億円の年間予算は、全日本スキー連盟がアルペンに投じる金額の2倍だ。「選手を引っ張ってきて(競技環境を)いい状態で受け継いでいきたい」。これからは“第二の皆川”を目指す有望株を後押ししながら、かなわなかったメダルの夢を追いかけていく。

 ◆皆川 賢太郎(みながわ・けんたろう)1977年(昭52)5月17日、新潟県出身の36歳。冬季五輪は98年長野から4大会連続で出場。回転で06年トリノ五輪4位となり、アルペン種目の日本勢で50年ぶりに入賞した。09年6月にフリースタイル女子モーグルの上村愛子と結婚し、10年バンクーバー五輪は夫婦で出場。97年から転戦したW杯は4位が最高、6位4度。1メートル73、85キロ。

 ▼全日本スキー連盟・古川年正競技本部長 W杯と違って4年に1度しかない大会でメダルに近づいた。日本人でもメダルを獲れる可能性があると初めて実感させてくれた。その功績は非常に大きい。

続きを表示

この記事のフォト

2014年1月20日のニュース