鳴戸部屋消滅…稀勢“心機一転”「田子ノ浦」で綱獲りへ

[ 2013年12月26日 05:30 ]

初場所番付発表の24日には、鳴戸部屋の看板の前で気合の入った表情を見せていた稀勢の里

 大相撲の鳴戸親方(元幕内・隆の鶴)が25日、年寄「田子ノ浦」を取得して名跡変更し、日本相撲協会に名跡証書を提出した。鳴戸親方は名跡の一括管理のため相撲協会が定めた今月20日の提出期限までに名跡証書を出せず、部屋存続の危機に陥っていた。鳴戸部屋の名称は消え、大関・稀勢の里の所属は田子ノ浦部屋となり、初場所(1月12日初日、両国国技館)は心機一転、綱獲りを目指すことになった。

 苦渋の決断だった。午後5時30分すぎ、鳴戸親方が田子ノ浦を取得したと発表。新田子ノ浦親方は国技館内で会見を開き「私が先代の鳴戸親方、師匠の重圧に耐えきれなかったと思う」と話すと大粒の涙が頬を伝った。

 先代親方(元横綱・隆の里)が一昨年11月に急死し、部屋付きから師匠となり部屋を継承した。しかし、部屋経営は先代親方夫人が実権を握っていた。そんな折、相撲協会が公益財団法人に移行するため、年寄名跡を一括管理することを決定。名跡証書の提出を義務付けられたが、証書を所有していた先代親方夫人との引き渡しをめぐる話し合いは難航していた。

 名跡証書を提出できなければ退職しなければならない可能性もあったため、昨年2月に亡くなった元幕内・久島海の夫人が所有していた田子ノ浦の取得に動いた。そしてこの日、了承を得た。新田子ノ浦親方は「力を出せるような環境をつくってやることが自分の仕事。名前は変わっても先代の教えを守っていきたい」と語った。

 名跡変更に伴い、鳴戸部屋は消滅し、鳴戸は協会預かりの空き名跡となった。千葉県松戸市にある部屋施設は先代親方夫人の持ち物であるため、稀勢の里ら12人の力士は近日中に移転となる。新部屋は、親方の退職で施設が空いている旧二所ノ関部屋、旧三保ケ関部屋(いずれも東京都墨田区)などが候補となる。

 初場所で綱獲りが懸かる稀勢の里はこの日朝、鳴戸部屋で稽古を行った。幕内・高安と17番取って12勝。腰を気にする場面もあったが「(調整が)始まったばかり。(腰は)たいしたことはない」と涼しい顔で話した。土俵の外では若手を相手に左を差してからの動きの習熟に余念がなかった。その後、鳴戸部屋の消滅が決定した。部屋の環境が変わることで、鍛錬に集中できるか定かでない。13勝以上の優勝が条件の綱獲りに影響を及ぼすのは必至で、新たな試練が突きつけられた。26日には横審稽古総見に参加予定で、対応が注目される。

 【年寄名跡協会一括管理の経緯】日本相撲協会は公益財団法人認定に向け、1月に理事会と全親方らで構成する評議員会を開き、年寄名跡の取得に絡む金銭授受の禁止や、違反した場合は角界追放とする罰則を盛り込んだ規定案を承認。名跡は協会が管理し、親方が後継者を推薦できる権利を持つ。先代親方へ顧問料などの名目で金銭の支払いは認めるが、年1回の報告義務を課し、協会の危機管理委員会で内容を監査する。全親方に12月20日までに年寄名跡の証書を提出するように通達し、9月に公益認定の申請を行った。だが、春日山親方(元幕内・浜錦)、熊ケ谷親方(元十両・金親)、鳴戸親方が期限内に証書を提出できず、協会は期限を来年1月12日に延期。それまでに提出できなければ、解雇を含めた厳しい処分が下される可能性が浮上していた。

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2013年12月26日のニュース