把瑠都 引退 今後は?「エストニアの観光大使になりたい」

[ 2013年9月12日 06:00 ]

涙をこらえながら厳しい表情で会見する把瑠都

 エストニアの怪人と呼ばれ、豪快な取り口で人気を集めた大相撲の元大関で、東十両3枚目の把瑠都(28=尾上部屋)が秋場所(15日初日、東京・両国国技館)を前に引退した。11日に日本相撲協会に引退届を提出し、国技館で会見を開いた。年寄名跡を取得していないため、このまま相撲協会を離れる見通し。5月の夏場所で古傷の左膝じん帯などを痛めて途中休場し、7月の名古屋場所も全休し十両に陥落していた。

 普段は明るく冗談好きの把瑠都だが、さすがに引退会見では青い瞳から大粒の涙が流れた。大好きなブルーの羽織姿で現れ「日本の皆さん、大変お世話になりました。悲しいけどケガが治らない。土俵に立つことができなくなった」と話した。

 1メートル98、189キロの堂々たる体で10年春場所後に、ブルガリア出身の琴欧洲に次いで欧州勢2人目の大関となった。昨年初場所で初優勝し横綱候補と期待されたものの、強引な投げが災いし度重なるケガに悩まされた。その後秋場所、九州場所と2場所連続で負け越し大関から陥落。そして、今年夏場所の稀勢の里戦で古傷の左膝の状態を悪化させたのが“致命傷”となった。

 リハビリに励んだが「簡単に治るもんじゃなかった」。十両に転落した秋場所初日まで2週間を切っても稽古場に下りられず、さらに完治には手術を受ける必要があることを医師から告げられた。それが決め手となり「(2日の)番付発表の後に考えた」と師匠・尾上親方(元小結・浜ノ嶋)に相談。先週末には周囲の近い関係者に身を引く意向を伝えた。

 引退後は母国エストニアで実家の牧場経営を手伝う考えだったため、親方として角界に残る際に必要な日本国籍も年寄名跡も取得していなかった。断髪式を行うまでは日本に滞在し「北海道を旅行したい」と話した。関係者には「子づくり、運転免許取得など気ままに過ごすつもり」と伝えており、今後については「エストニアの観光大使になりたい」という。将来は母国の子供たちに相撲を指導し「いい相撲取りになる人がいたら日本に連れてくる」と決意をにじませた。

 ▼北の湖理事長(元横綱)横綱に上がると期待していたので残念だ。もったいないけど、ケガは仕方ない。ここまでよくやってくれた。ご苦労さんと言いたい。

 ◆把瑠都 凱斗(ばると・かいと=本名カイド・ホーベルソン)1984年11月5日、エストニア共和国ラクベレ県生まれの28歳。16歳で柔道を始め03年にエストニア王者に。ナイトクラブのボディーガードなどを経て04年2月に来日し三保ケ関部屋に入門。04年夏場所で初土俵を踏み05年秋場所新十両。06年夏場所で新入幕。その後、師匠の尾上親方の独立とともに尾上部屋に移籍。優勝1回。家族はロシア人のエレナ夫人。1メートル98、189キロ。

 ≪把瑠都のお騒がせ≫

 ☆Tシャツ短パン騒動 07年7月にまげを結わず、Tシャツ、短パン姿で東京・六本木の路上を歩き、泥酔した男性とのトラブルに巻き込まれた。「まげ、着物姿」ではなかったことが問題視され協会から厳重注意。09年9月にも半袖短パン姿で六本木にいるところを写真誌に掲載され注意を受けた。

 ☆遠出騒動 11年3月に大阪市内の繁華街をジャージー姿で出歩き、協会から厳重注意を受けた。協会は同年3月の東日本大震災の直後から許可なく地方へ行くことを禁止していたため、師匠の尾上親方にも注意。

 ☆遊びの場所発言 八百長問題の影響で興行として行われなかった11年5月の技量審査場所の3日目取組後に「悪いけど遊びの場所みたい。気合入ると思う?」などと発言。場所中としては異例の厳重注意処分。

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