21歳大野 初出場初V!日本40年ぶり最軽量から金、金、金

[ 2013年8月30日 06:00 ]

男子73キロ級決勝 フランスのウーゴ・ルグランに一本勝ちで優勝を決めた大野将平(上)

世界柔道第3日  男子73キロ級

(8月28日 ブラジル・リオデジャネイロ)
 またもやニューヒーローが誕生した。初出場の大野将平(21=天理大)が6試合オール一本勝ちで優勝。古賀稔彦や吉田秀彦を輩出した柔道私塾「講道学舎」の出身で、初日の高藤、前日の海老沼に続いて日本男子に3日連続の金メダルをもたらした。最軽量級からの3階級制覇は、日本にとって73年大会以来40年ぶり。ロンドン五輪銀メダルの中矢力(24=ALSOK)は準々決勝で敗れ、女子57キロ級の山本杏(19=国士舘大)も3位決定戦で敗れてメダルを逃した。

 天を突き刺す角度で、大野の右足が跳ね上がる。その瞬間、相手の体は真っ逆さまに向きを変えて畳に落ちた。決まり手は跳ね腰となったが、決勝でも仕掛けたのは内股。「兄貴が得意でそれを教えてもらって、自分で磨いた技。その技で勝てたのはよかった」。畳の上では気づくか気づかないかの小さな笑みで、大きな喜びをかみしめた。

 6試合とも一本勝ちした中で一番の窮地は準々決勝だった。残り10秒で追いつき延長戦へ。その直前には観客席最前列から「ここが勝負だぞ!」と叫ぶ海老沼の声が聞こえた。前日にケガをはねのけ優勝した講道学舎の先輩の声援に「あれが励みになった」とここでも相手を内股で裏返した。

 日本男子怒とうの3日連続金メダル。高藤の活躍が同じ道場出身の先輩に当たる海老沼に波及し、その海老沼の激闘が講道学舎の後輩である大野の気持ちを奮い立たせた。井上康生監督は「大野には中矢とのライバル関係だけでなく、先輩後輩のいい刺激があった。こういうものも大事なんだなと感じた」と金メダルの連鎖を語り、「講道学舎の凄さをあらためて感じた」とうなった。

 昨年閉塾した講道学舎は全国から集められた柔道エリートが、中高を通じて切磋琢磨(せっさたくま)する場所だった。多くの世界王者を輩出した虎の穴の最後の世代が大野。中学時代には棟田康幸や泉浩ら重量級の先輩に胸を借り「動きを最も確認できる稽古方法」を自分なりに確立した。「講道学舎という凄いところで生活して学んできた。最後の世代として勝ちたかった」と“学舎”の誇りをにじませた。

 この日の朝、元世界王者の王己春(24=韓国)との初戦を前に、井上監督から言われたことがある。「もう王己春の時代じゃない。おまえの時代をつくれ」。研ぎ澄まされた一級品の内股とともに、大野がその時代の1ページ目を刻んだ。

 ◆大野 将平(おおの・しょうへい)1992年(平4)2月3日、山口県出身の21歳。親戚が先生を務めていた松美柔道スポーツ少年団で小1から柔道を始める。2歳年上の兄・哲也さんと同様に中学から講道学舎に柔道留学。弦巻中、世田谷学園高と進学し、現在は天理大4年。11年に世界ジュニアを制し、昨年12月にはグランドスラム東京で優勝。1メートル70。右組み。得意技は大外刈り、内股。

 ▽講道学舎 東京都世田谷区にあった全寮制の柔道私塾。1975年に塗料会社「ダイニッカ」創業者の故横地治男氏が、将来の五輪選手育成を目的に創設。全国から集まった中・高校生に英才教育を行ってきた。弦巻中―世田谷学園に通い、世田谷学園は全国制覇の強豪だった。現在の通学先は日本学園に変更。OBに古賀稔彦、吉田秀彦、滝本誠の五輪金メダリスト3人がいる。

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