丹羽、史上3人目の高校生王者!世界選手権出場も決めた

[ 2013年1月21日 06:00 ]

フルセットの末、水谷(左)に勝利した丹羽はラケットを振り上げガッツポーズ

卓球全日本選手権最終日

(1月20日 国立代々木競技場)
 逆転で新王者が誕生した。男子シングルス決勝で、世界ランク22位の丹羽孝希(18=青森山田高)が同10位・水谷隼(23=ビーコン・ラボ)を4―3で撃破。ロンドン五輪代表同士の激突で1―3と追い込まれたが、執念の逆転劇で初優勝を果たし、世界選手権(5月、パリ)代表に決まった。同種目で高校生の日本一は史上3人目。丹羽は男子ダブルスとの2冠も達成した。

 場内に響き渡る雄叫びなんて、歓喜のシーンに必要ない。水谷のバックハンドが台を外れると、丹羽が喜びをかみしめるように右拳を握った。「うれしかったけど、そこまで実感がなかった。優勝したら(ガッツポーズを)やんなきゃダメかなって思っていた」。昨年優勝の吉村は勝利が決まるとコートに背中から倒れ込んだが、「倒れるのは古いでしょ」と新王者はニヤリと笑った。

 ロンドン五輪団体で共闘した水谷との決勝は、1―3と追い込まれた。「厳しいと思ったけど、開き直って一本一本頑張ろうと思った」。強気に攻め続け、強烈なスマッシュを何度も叩き込んだ。「試合中に声を出すのもいいことだけど、ボクはそうじゃない。冷静に考えながらプレーしている」。得点を重ねても、大声を張り上げない。静かに着実に水谷を追い詰め、高校生としては史上2人目となる男子ダブルスとの2冠を獲得した。

 日本一をささげる人は決まっている。丹羽が小学5年だった05年11月、コーチの西村一行さん(享年35)が交通事故で亡くなった。以来、地元の北海道・苫小牧に戻ると、必ず西村さんの家に足を運ぶ。「メダルを獲ってくる」と誓ったロンドン五輪団体では、表彰台に上がれず。五輪後、ドイツに渡るまで1週間帰国した際、仏前でさらなる成長を約束した。進化した姿を恩師に届けた18歳は、少しだけ天を見上げて言った。「これでいい報告ができますね」――。 

 ◆丹羽 孝希(にわ・こうき)1994年(平6)10月10日、北海道・苫小牧市出身の18歳。7歳から卓球を始め、09年横浜世界選手権には男子史上最年少の14歳で出場した。10年ユース五輪で金メダルを獲得すると、11年世界ジュニア選手権でも優勝。12年ロンドン五輪は団体メンバーで出場したが、準々決勝で敗退した。台上でバックハンドでボールを払う技術は、欧州で「ニワ・フリック」と呼ばれている。左利き。1メートル62、48キロ。

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