青学大・高橋 箱根ファンだった天国の姉にささぐ区間賞

[ 2013年1月4日 06:00 ]

青学大・小椋(左)からタスキを受ける高橋。8区で区間賞となる快走を見せた

第89回箱根駅伝

(1月3日 箱根・芦ノ湖~東京・大手町、復路5区間109・9キロ)
 天国の姉に贈る激走が優勝候補のシード落ちを救った。6位スタートの青学大は、8区の高橋宗司(2年)の同校史上2人目の区間賞となる快走で後続との差を広げ、8位で4年連続のシード権を確保した。東日本大震災で姉・沙織さん(享年22)を亡くした高橋は、箱根好きだった姉にささげる走りで応えた。

 母・千賀子さんが藤沢市の遊行寺で抱えていた沙織さんの遺影を、高橋は目で捉えることはできなかった。「姉のために走ると言いたくない」「姉に走らせてくれとお願いはしていない」。気が強かった姉が、その死を支えにしてほしいはずはない。高橋は、構わずに「優勝だけを考えて前だけを見て」走った。9位でタスキを受け、その順位を死守。8区21・5キロを1時間6分46秒で駆け抜け、青学大史上2人目の区間賞を獲得した。

 3・11の当日、沙織さんからメールが届いた。宮城県東松島市の実家の2階にある姉の自室が、地震でめちゃくちゃになった写真が添付されていた。「こんなに散らかった」。利府高卒業を前に高橋は東京・町田市の青学大の寮に入っていた。

 ホッとした3日後、両親から「沙織と連絡がつかない」と明かされた。数日後、海岸線から約3キロの自宅近くで姉の遺体が見つかった。4月から宮城・富谷高に保健講師として赴任することが決まっていた。「もうお姉ちゃんはいないんだ」と実感したのは、葬儀が行われた5月だった。

 「姉がいたから、陸上を始めた」。沙織さんは宮城・多賀城高で800メートルの東北大会に出場した陸上選手。「箱根駅伝オタク」で特に早大のファンだった。「姉ちゃんが速いんだから、あんたも速いんじゃない?」と両親に勧められて、中学から陸上部に入った。

 楽しく走る姉。無理やりだった弟。「価値観が違う」ことでぶつかったが、高3の時、「駅伝っていいね」と初めて理解し合えた。その正月、箱根を制したのは姉が大好きな早大だった。「箱根を走るしかない」。誓った直後の震災だった。

 1年生だった昨年はメンバー落ちした。だが、原晋監督が「震災を経験した強さを感じた」と振り返った2年間で、大きく成長した。11位の山梨学院大とは2分25秒差。シード落ちを救った激走だった。「区間賞と言っても、姉は信じてくれるか分からない」と笑った高橋は、「来年はチームとして胸を張って帰る」と姉の墓前に報告するつもりだ。

 ◆高橋 宗司(たかはし・そうし)1993年(平5)2月2日、宮城県東松島市生まれの19歳。中1のスポーツテスト1500メートルで学年1位になったことをきっかけに陸上を始め、利府高3年でインターハイの1500メートルに出場。青学大1年で出雲、全日本に出場したが、箱根はメンバー落ちした。1メートル72、57キロ。

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