日体大往路V!昨年史上最低19位からV字回復

[ 2013年1月3日 06:00 ]

1位でゴールする日体大・服部

第89回箱根駅伝

(1月2日 東京・大手町~箱根・芦ノ湖、往路5区間108キロ)
 古豪が復活ののろしを上げた。65年連続出場の日体大が、最終5区、3年生主将・服部翔大の区間賞の激走で、史上初の往路5連覇を狙った東洋大を逆転。26年ぶり10度目の往路優勝を飾った。昨年は創部初の繰り上げスタートの屈辱を味わい、史上最低の19位。その雪辱を、97年の神奈川大以来史上2校目となる予選会からの往路Vで果たした。2位の早大には2分35秒差、3位の東洋大には2分39秒差。30年ぶり10度目の総合優勝も射程圏だ。

 標高874メートルの最高到達点で受けた風速18メートルの風も、服部の、そして日体大の行く手を阻むものにはならなかった。白地に青のタスキが、最初に芦ノ湖へ帰ってきたのは26年ぶり。「前から山を走ってみたいと思っていた。走れて、いい順位でゴールできて良かった」。淡々と振り返る言葉が逆に、3年生主将の頼もしさを表現していた。

 4人全員が区間7位以内でつないで、最終5区は2位スタート。東洋大との1分49秒差を追った。早大の山本(2年)に12・2キロ地点で追いつかれても「前との差が詰まっていると聞いたので前を追うことだけを考えた」。14・4キロで東洋大・定方を捉えると、すぐに抜き去った。続く山本とのマッチレースは「僕の方が動きが良かったから、強い気持ちできついところで出たらどうかなと思って」16キロすぎにスパート。昨年区間3位の強敵を、力でねじ伏せた。

 昨年は9区へタスキをつなげず、64年の歴史で初めて繰り上げスタートを味わった末に、史上最低の19位。選ばれたメンバー以外が大会直前に飲酒するなど、チームがばらばらになった末の屈辱だった。「64年連続で出ていて、どこかで“何とかなる”という気持ちがあった」という別府健至監督(46)がゴール直後に選んだのが、服部の主将指名。「嫌なら辞めていい」と声を荒らげ荒療治に踏み切った。大会2週間前の11年12月18日に父・重夫さん(享年50)を肺がんで亡くしながら1区を区間2位で走りきった服部の強さが必要だった。

 「主将は一番速くなきゃいけない」と気合が空回りした春、関東インカレの1万メートルでは17位に沈んだ。だが、そんな服部の苦しみを察した同級生は「何があってもおまえについていく」と宣言。当初は反発した4年生も、服部の父の死を知り、学年ミーティングを行い「主将は3年生でも、部を引っ張るのは俺たち」と矜持(きょうじ)を取り戻した。寮の食堂には途絶えたタスキを「忘れないために」飾った。起床時間を常に午前5時30分に統一し、OBの原健介トレーナー(42)を招へい。朝の体操を体幹トレーニングに切り替えると故障者は激減した。11月の予選会は1位。全日本は4位。「段階を踏めて“やるぞ”と思えた」ことが、勢いにつながった。

 昨年12月15日には埼玉の実家に帰省。父の一周忌に参列した。その父との約束は、箱根駅伝の区間賞。約束を果たした服部は「復路の選手には箱根駅伝を思い切り楽しんでほしい」とエールを送った。その顔はもう、3年生主将に戸惑った春とは違う。30年ぶりの総合優勝を狙うチームの、大黒柱のそれになった。

 ◆服部 翔大(はっとり・しょうた)1991年(平3)10月28日、埼玉県鴻巣市出身の21歳。埼玉栄―日体大。全国高校駅伝は高校1年時の07年に日本人トップとなる3区2位。昨秋の全日本大学駅伝は4区で区間賞を獲得し、チームの4位に貢献。箱根駅伝は1年時に3区2位、2年時は1区2位。1万メートルのベストはチームトップの28分37秒75。1メートル64、52キロ。「ラストスパートで競り合ったら勝てる」勝負強さと安定感が武器。

続きを表示

2013年1月3日のニュース