父超えた!三宅銀 父子メダルは日本史上3組目

[ 2012年7月29日 06:00 ]

スナッチで83キロに成功した三宅宏実

ロンドン五輪重量挙げ

 女子48キロ級の三宅宏実(26=いちご)が3度目の五輪で日本女子重量挙げ初のメダルを獲得した。スナッチで日本新記録の87キロをマークして2番手につけるとジャークでも日本記録の110キロを記録。計197キロで銀メダルを獲得した。また、メキシコ五輪重量挙げフェザー級で銅メダルを獲得した父の義行さんとの史上3組目の親子メダリストに輝いた。

 ついに悲願のメダルに手が届いた。三宅が00年シドニー五輪から正式採用された女子で日本初の表彰台。最後の試技こそ失敗してぺろっと舌を出したが、日本新記録のトータル197キロで銀メダルを決め、観客に向けて満足そうな表情で右手を振った。歴史を塗り替えた26歳は「本当に夢のようです。実感はないですけど、本当に苦しかった。北京からたくさん練習を積んできて。いろんな応援してくれた人からパワーもらいました。父(銅)より、一個上に行けたのでうれしい。うふふ」と喜びを爆発させた。

 シドニー五輪をテレビで見て感動し、中3から競技を始めた。以来、父・義行さんがコーチとなり二人三脚で頑張ったが、初出場の04年アテネ五輪は腰痛で9位。表彰台を狙った北京五輪も減量ミスで6位に終わった。股関節痛に苦しみ、精神的にも行き詰まって、義行さんと衝突。09年3月には“家出”をした。向かったのは、シドニー五輪に出場した平良真理さん(36)のいる沖縄だった。

 以前、三宅から「父の期待と気力がかみ合わなくて…」というメールを思い出した平良さんは「1人で来たな」と察知した。平良さんが部活を指導する県立高校で翌日から一緒に練習したが、三宅は1週間もすると新座市の自宅に帰宅した。「やっぱり私は三宅家の娘だから」。父は68年メキシコ五輪フェザー級銅メダリスト、伯父の義信氏は64年東京、68年メキシコをフェザー級で連覇。偉大な血筋の重圧に負けていたが、最後は三宅の遺伝子が戦場へ引き戻した。

 頼りっぱなしだった父との距離感も変わった。「人任せでは勝てない。ステージに上がれば、自分一人で戦うもの」。自ら練習メニューも考えて自立した。成果は記録となって表れた。53キロ級で毎年のように日本記録を更新し、昨年の全日本選手権ではトータル207キロの日本新記録を樹立する。今年は3月に右脚付け根を痛めて、4月の全日本選手権は欠場したが、3度目の五輪へ自信が揺らぐことはなかった。

 親子でのメダル獲得は、体操の相原信行と豊、塚原光男と直也に次いで、日本勢史上3組目の快挙となった。父と歩んだ12年。「表彰台に上がるまで絶対にやめない」。競技を始めたときに親子で交わした約束を、3度目の五輪でついに現実のものとした。

 ☆親子五輪メダル 体操で68年メキシコ、72年ミュンヘン、76年モントリオールで団体総合金メダリストとなった塚原光男と、アテネ五輪団体総合金メダリストの直也。60年ローマの団体総合金メダルを獲得した相原信行、92年バルセロナの団体総合銅メダリストの豊の2組だけ。

 ☆命名 プロ野球でバース(阪神)と落合博満(ロッテ)が3冠王に輝いた85年に生を受け、うかんむりが3つ並ぶ三宅宏実と名付けられた。

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2012年7月29日のニュース