“田村”亮子を破った女…福見11年越し五輪切符

[ 2012年5月14日 06:00 ]

決勝で岡本(右)を激しく攻め立てる福見

柔道全日本選抜体重別選手権兼ロンドン五輪代表最終選考会最終日・女子48キロ級決勝 ○福見友子 優勢8分(延長) 岡本理帆●

(5月13日 福岡国際センター)
 柔道全日本選抜体重別選手権兼ロンドン五輪代表最終選考会最終日は13日、福岡国際センターで行われ、女子48キロ級の福見友子(26=了徳寺学園職)が念願のロンドン五輪切符を手にした。昨年まで世界選手権を連覇した浅見八瑠奈(24=コマツ)が初戦敗退する中、福見は2年ぶり4度目の優勝。苦闘10年でつかんだ初の大舞台で金メダル獲得を目指す。大会終了後の全日本柔道連盟の強化委員会で男女計14階級の代表選手が決まった。

 8分に及んだ決勝の死闘の末に、自らの勝利を示す白い旗が3本そろった。その瞬間から、福見は自身の素直な気持ちを口に出そうと決めていた。優勝インタビュー。「五輪で金メダルを獲ってきます」。それから約2時間。強化委員会が終わり、控室に呼ばれた福見は自分の名前が呼ばれるのを聞いた。大逆転の五輪代表切符。「遠回りしたけど、それが私の人生だったんだなあって」。安どの笑みが広がった。

 「(代表に)選ばれたいというより、この大会に勝ちたいという思いだった」。10、11年と連続して世界選手権の決勝で浅見に屈し、2人のライバル関係は決着したと思われていた。「去年の世界選手権が終わったあと、心が折れた感じだった」。11月の講道館杯、12月のグランドスラム東京でも優勝を逃しロンドンはさらに遠のいたが、最後の力は残っていた。「自分の長い道のりを裏切りたくなかった。それだけです」

 苦闘の原点は02年4月だ。当時、12年間国内で無敗を誇った田村亮子を破り、16歳で“ポスト田村”の看板を背負わされた。自分の柔道を見失い低迷期に入った。立ち直ったはずの07年4月、世界選手権の最終選考会決勝で出産から復帰した谷(田村)と対戦し、再び勝利。だが、代表に選ばれたのは谷だった。その大舞台で谷が優勝した瞬間、福見は人目をはばからずスタンドで涙を流した。

 08年北京五輪の最終選考会は初戦で敗退。諦めの気持ちがケガにつながり、再びトンネルが待っていた。そんな時に支えてくれたのが、8歳からつけ始めた「柔道日記」。純粋な気持ちを思い返すことで、10年の雌伏と苦悩の日々を乗り越えた。だからこそ、4年前と同じ、諦めという「裏切り」は許せなかった。

 優勝の瞬間に頭を駆け巡ったのは「初めて谷さんに勝ったとき」だったという。「あの時も(フラッシュが)まぶしいなあ、と思った」。あの時の16歳の少女は今、26歳になった。48キロ級に5大会ぶりに誕生した初代表は「五輪で金メダルを獲るのが子供の頃からの夢。まあ、初出場なんで、思い切りやりたい」と表情を引き締める。その姿は、日本柔道の金看板の重みを受け止めた、強さにあふれていた。

 ◆福見 友子(ふくみ・ともこ)1985年(昭60)6月26日、茨城県土浦市生まれの26歳。土浦六中―土浦日大―筑波大―了徳寺学園職員。8歳から柔道を始め、00年に全国中学大会優勝。02、03年は全国高校選手権48キロ級を連覇した。09年、初出場した世界選手権(オランダ・ロッテルダム)で優勝。現在、国際柔道連盟の世界ランキング1位。1メートル57。愛称はふくちゃん。

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