がん闘病14年…「生涯現役」杉原輝雄さん力尽く

[ 2011年12月29日 06:00 ]

62年の日本オープンで初優勝を飾った時の杉原氏のティーショット

 ゴルフ界のドンが逝った。がんと闘いながら、50年以上にわたって現役を続けた男子プロゴルファーの杉原輝雄(すぎはら・てるお)氏が28日午前8時30分、前立腺がんがリンパに転移し、大阪府の自宅で死去した。74歳。大阪府出身。葬儀・告別式は近親者のみで執り行い、後日お別れ会を開く予定。喪主は長男でプロゴルファーの敏一(としかず)氏。

 生涯現役を宣言していた杉原氏がついに力尽きた。97年12月に前立腺がんと診断され、98年4月に公表。08年にはリンパ節への転移が判明。その後、病魔は体中をむしばみ、最近は自宅でほぼ寝たきり状態だった。長男・敏一によると、前日27日には「水が欲しい」などと話し、家族の間では「新年を迎えられそう」という希望があったという。しかし28日に容体が急変、午前8時30分ごろ玲子夫人(73)にみとられ、静かに息を引き取った。

 農家の3人兄弟の末っ子として誕生。小学5年生の時に自宅近くの茨木CCでキャディーのアルバイトをしたのがゴルフ人生の始まり。定時制高校に通いながら研修生となり57年に20歳でプロ転向。62年の日本オープンで初優勝を果たすなど計63勝(海外1勝、シニア6勝を含む)を挙げた。

 「どんなフォームでどんな打ち方をしようが、勝負はスコアという数で決まる。僕の数に対する執念は人より少しばかり強い」が信条。1メートル60と小柄で飛距離のハンデを負ったが、両肘を曲げたまま振る独特のスイングから繰り出す正確なショットや巧みなパットで補った。ポーカーフェースで鋭い目つき、決して諦めないプレースタイルから「マムシ」の異名を取った。それまでプロはゴルフ場の従業員として試合に出ていたが、いち早くボールメーカーと契約したトーナメントプロの先駆者でもあった。

 ゴルフに対する執念は凄かった。がんと診断されたのは60歳の時。だが手術すれば3カ月クラブを握れないと知って拒否した。がんの進行を抑える女性ホルモンの投与もパワーが落ちたと感じると中止。同じ時期に加圧式筋力トレーニングを開始。「命は大事。だけどゴルフをしたい。ジャンボ、青木、中嶋と回って勝ちたい。このままくたばってたまるか」と闘病しながらシニア、レギュラー両ツアーに出続けた。06年つるやオープンでは68歳10カ月で予選通過しツアー最年長記録を更新、10年中日クラウンズでは51回連続出場で同一大会連続出場の世界記録を樹立した。

 84年には選手会初代会長を務めツアーの発展にも寄与。面倒見が良く後輩からも慕われた。昨年末には日本ゴルフツアー機構の選手会が応援メッセージを入れたDVDを作製し闘病中の杉原氏にプレゼントした。

 今年3月、監修する兵庫・新宝塚カントリークラブを視察。工事中のコースを見て「4、5年かけてやっていかないと。まだまだ死ねんな」と話していた。最後のツアー出場は昨年6月のミズノオープン(予選落ち)。「まだまだ勝ちたい」の一心でゴルフ人生を全うした杉原氏。64勝目はかなわぬ夢に終わった。

 ◆杉原 輝雄(すぎはら・てるお)1937年(昭12)6月14日、大阪府出身。20歳でプロテストに合格。通算63勝のうち、73年のツアー制施行後は28勝。生涯獲得賞金は6億3318万8689円で歴代33位。ベストスコアは88年広島オープンなどの64。長男・敏一のプロデビュー戦となった90年の大京オープンが自身ツアー最後の勝利。永久シード選手。今月20日に文部科学省からスポーツ功労者として顕彰された。趣味は将棋、囲碁。1メートル60、57キロ。

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2011年12月29日のニュース