32歳“もみあげ男”華王錦 大卒最スロー十両

[ 2011年5月19日 06:00 ]

佐田の富士(下)を突き落としで破る華王錦

大相撲技量審査場所11日目

(5月18日 両国国技館)
 “もみあげ”がトレードマークの西幕下3枚目・華王錦が十両・佐田の富士を突き落として勝ち越し、ブルガリア出身の東幕下筆頭・碧山、チェコ出身の東幕下2枚目・隆の山とともに来場所での新十両昇進を決めた。幕内は横綱・白鵬が琴奨菊を寄り切り、ただ一人の全勝。平幕の栃ノ心、新入幕の魁聖はそれぞれ勝ち、1敗で追っている。
【取組結果】

 花道を引き揚げる華王錦の目は潤んでいた。出迎えた師匠の東関親方(元幕内・潮丸)と握手をかわした。付き人として仕える高見盛には「よくやった」と祝福された。

 相撲人生を左右する一番でも慌てなかった。十両との取組に「負けてもともとの気持ち」と開き直った。佐田の富士に突っかけられて2度目の立ち合い。左に飛んで突き落とし勝ち越しを決めて新十両を手中にした。01年夏場所の初土俵から所要60場所は学生出身では最も遅い記録。32歳8カ月での新十両も学生出身では最年長記録だ。

 「相撲(の取り口)も遅いけどメシも遅くて。焦りはなかった」。マイペースな性格が災いして番付はなかなか上がらなかった。八百長問題で関与力士が大量に引退し、来場所は幕下から十両に最低でも13人が昇進する。千載一遇のチャンスをものにした。

 印象的なふさふさのもみあげ。ルーツは入門時の師匠である先代の東関親方(元関脇・高見山)だ。「先代の娘さんに“お父さんみたいな人がいない”と言われて」。2年前から伸ばし始めた。05年九州場所で右膝じん帯を痛め、06年夏場所で復帰するまで半年間を要した。ケガが多く部屋では居候状態となっていたが、それでも先代には優しく声をかけられた。恩返しの意味もあって、もみあげは今やなくてはならない存在となった。

 ただ角界には番付下位の力士が容姿で目立つことをよしとしない風潮がある。華王錦も2年前の巡業で「おまえ、関取でもないのに」と注意を受け、目立たないように5センチほどに切りそろえたことがある。肩身の狭い思いをしてきた。しかし十両昇進となれば、もう遠慮は必要ない。先代からも「どんどん伸ばせ」と心強い後押しを受けている。取組後、その“元祖もみあげ力士”に勝利を報告した苦労人は「先代の気持ちを大事にしたい」と“2代目ジェシー”襲名を宣言した。

 ◆華王錦 武志(かおうにしき・たけし、本名=村田武志)1978年(昭53)9月14日、秋田県仙北郡美郷町出身の32歳。金沢小4年で相撲を始め、大曲農高では国体出場。東洋大で主将を務め00年の学生選手権団体戦初Vに貢献。01年夏場所初土俵。最高位は西幕下3枚目。得意は突き押し。1メートル79、155キロ。

 【主なもみあげ力士】

 ☆高見山 米ハワイ出身で64年3月に高砂部屋に入門。67年3月に外国人出身初の関取となる。ジェシーの愛称で人気を誇った。引退後は東関親方として横綱・曙らを育てた。

 ☆青葉城
高見山と同じ64年3月に二所ノ関部屋に入門。新入幕は入門から約11年かかったが、引退まで1日も休場せずに出場し続け、史上1位の連続1630回出場を記録。現在は不知火親方として尾車部屋に所属。

 ☆荒勢 72年1月に花籠部屋に入門し初土俵。日大出身の横綱・輪島とともに活躍した。最高位は関脇。81年9月に引退しタレントとしても活躍。08年8月に急性心不全で死去。

 ☆朝潮 2年連続でアマ横綱、学生横綱に輝き78年3月に高砂部屋から初土俵。高見山らに鍛えられ大関に。幕内優勝1回。若松部屋を興し後に高砂を襲名。横綱・朝青龍らを育てた。

 ☆闘牙 91年1月に高砂部屋に入門し初土俵。最高位は小結。06年5月に引退。現在は九重部屋付きの押尾川親方。

続きを表示

この記事のフォト

2011年5月19日のニュース