富山出身の野尻あずさ、涙で「ご生還祈って走る」

[ 2011年2月26日 06:00 ]

成田空港で記者の質問に答える野尻あずさ

ニュージーランド・クライストチャーチから帰国

 大規模地震の影響でニュージーランドのクライストチャーチ合宿を中止した陸上女子長距離陣の選手ら15人が25日、成田空港と関西国際空港に帰国した。邦人の被災者が多い富山市出身の野尻あずさ(28=第一生命)は、3月13日の名古屋国際女子マラソンで被災者のために力走することを涙ながらに誓った。

 野尻は目に涙をためていた。同郷の富山の学生が被災したことについて「一人でも多く助かってほしい」と声を絞り出した。消え入るような声に、ランニングのときの力強さはなかった。

 「何もできないもどかしさがある。私ができることは走るということしかない。一日も早い復旧と(被災者の)ご生還を祈って走りたい」。ノルディックスキー距離の選手として10年バンクーバー五輪を目指したが、08年に断念。陸上長距離に転向してまだ2年半とキャリアは浅いが、転向間もない08年には魚津しんきろうハーフマラソンで優勝するなど潜在能力は高い。自分にできることは周囲の期待に応えること。野尻は涙を浮かべながら、2週間後の名古屋国際女子マラソンでの力走を誓った。

 地震発生当時、選手らはクライストチャーチ市内のホテルに滞在中だった。そこで「あんな大きな揺れは初めて」(野尻)という大地震に遭った。建物の倒壊を憂慮して全員でホテル中庭に集合したが、余震が続いた後は地割れして水が噴き上がり、生きた心地がしなかったという。電気と水道が止まったため市内の別のホテルに移ったが、この宿舎も水道は止まっていた。このため、井戸水をくみ上げたり、陸上選手としては普段飲まないコーラで喉の渇きを癒やしたという。練習を中断し、予定を早めて帰国したが、被災した人たちのことを思うと「複雑な気持ち」(野尻)と素直に帰国を喜べなかった。

 95年の阪神大震災を経験している兵庫県西宮市出身の中村友梨香(24=天満屋)も「揺れがひどくて中心街は凄い被害だった」と恐怖を口にした。野尻や同じくこの日にニュージーランドから帰国した町田祐子(30=日本ケミコン)、重友梨佐(23=同)とともに名古屋国際女子マラソンに出場予定だが「今は自分のことよりも復旧が進むことを祈りたい」とうつむいた。9選手ともケガはなかったが、精神的なダメージは計り知れない。

 ◆野尻 あずさ(のじり・あずさ)1982年(昭57)6月6日、富山県生まれ。上滝中―木雄山高―日大卒。中1からスキー距離を始め、日大時代は03、05年のユニバーシアード大会に出場。08年8月に第一生命に入社し、陸上長距離へ転向。10年1月に初マラソンとなった大阪国際女子で2時間29分12秒の9位。同年10月の世界ハーフマラソンで13位。1メートル57、43キロ。 

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