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お嬢様の「神田川」 大漁キンメダイ

[ 2018年2月14日 07:08 ]

事務所の前で国敏さんと愛犬・ムックとともに。「犬の散歩は一日7回行くんです」
Photo By スポニチ

 【釣り宿おかみ賛】神奈川県真鶴・国敏丸の女将・露木恵津子さん(66)と当主で夫の国敏さん(70)は昨年、金婚式を迎えた。社長令嬢と極貧家庭で育った青年が結ばれるまでには、かぐや姫が歌ったヒット曲「神田川」のような物語があった。(入江 千恵子)

 雪のような白い肌に深紅の口紅が似合う。

 恵津子さんは、結婚のきっかけとなった昔の記憶をたどった。「“帰った時に電気がついてる家に帰りたい”って言ったんですよね」。若き日の国敏さんの言葉に16歳の少女は「一生、この人を支えたい」。そう決意した。

 1951年(昭26)3月、静岡県熱海市で7人きょうだいの6番目として生まれた。市内でも有名な裕福な家庭で、祖母がロシア人だった父は土建業の社長、母は貸金業を営んでいた。「友達と会う時は、いつもタクシーを使ってました」。生粋のお嬢様だった。

 高校に進学した年の夏。運命を変える出会いが訪れる。友達と出掛けた熱海の「お宮の松」で男性グループに声を掛けられ、後日、偶然に再会したのがその中にいた国敏さんだった。

 当時、国敏さんは真鶴町役場で働く公務員だったが、幼少期は恵津子さんと正反対の境遇だった。父は真鶴町で“3本の指に入る”大酒飲みで仕事はせず、国敏さんは3歳から薪(まき)を売って生活費を稼ぎ、働き詰めだった母は53歳で亡くなった。家族の団らんを知らずに育った国敏さんに母性本能をかき立てられた恵津子さんは、デートの支払いも進んで行った。

 だが口座にあった約200万円はたちまち残高数万円に。それに気づいた恵津子さんの母は激怒。逃げるように駆け落ち同然で国敏さんとの生活を始めた。6畳2間の風呂なしアパートは生まれ育った家に比べて狭く不便だったが、「若くて何も分からないからできたのかな。お金はなかったけど、楽しかったですね」。

 2人は思いを貫き恵津子さんが16歳の時に結婚。20歳で長女・敏子さん(46)を、のちに長男で現在、国敏さんと共にかじをにぎる正敏さん(37)が誕生した。

 そしてこの年、国敏さんが公務員を辞めて、漁師になる決意を固める。それを聞いた時、「反対はしなかったです」。しかし、役場からの最後の給料12万円を持って真鶴港で漁師になる手続きを終えた時、「1時間くらい泣きましたね」。結婚から13年。公務員の妻としての誇りもあった。

 だが、これからは漁師の妻。「うちの亭主を真鶴一の漁師にしよう」。そう心に誓うと涙は消えていた。

 最初はタダで譲ってもらった木造船からの出発だった。最も多忙な伊勢エビ漁の時季は睡眠が2時間未満の日々。恵津子さんは午前2時頃から網に掛かった伊勢エビとゴミの仕分け作業に取り掛かる。遊漁船を本格的に始めると受け付けをして5時半出港の船を見送ったあと、家事や予約電話の対応に当たった。2人の働きぶりに比例してお客さんは増え、漁でも国敏さんが釣ってくる大漁のキンメダイで真鶴港はいっぱいになった。

 あれから半世紀。「これまで100万回くらい別れようと思いましたよ。でもこの人を見捨てたら誰が面倒みるんだろう…。こんなによく働く人、ついて行くしかないです」。

 2人とも「生涯現役が理想。死ぬ時も“昨日まで働いてたよね”って言われるくらいがいいですね」。

 現在暮らす家は2階の窓が大きく、遠くからでも明かりが見える。

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