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宝の地図が導く 秘境・奥利根“伝説”イワナ

[ 2018年1月15日 07:08 ]

1980年8月27日、奥利根・奈良沢で釣った大イワナの剥製
Photo By スポニチ

 【渓流釣れ釣れ記】冬来たりなば春遠からじ。3月の渓流解禁まで釣りの虫はなかなかじっとしていない。仲間が集まって酒でも飲みだすと、手を縛っておかないと、釣った魚がどこまで育ってしまうか分からない思い出話に、花が咲いてくる。(スポニチAPC 綾部 丹堂)

 「お前見たかよ3尺(約90・9センチ)イワナ、夢の奈良沢ネ、日が暮れるダンチョネ」

 これはかつて秘境のイワナを求め、群馬県奥利根湖(矢木沢ダム)を舟で渡った、奈良沢のバックウオーターのテント場で、焚火(たきび)を囲んで仲間たちと歌った「ダンチョネ節」の替え歌である。

 テント場で焚火を囲んで酒を飲めば必ずこの歌が出たものだ。

 本題に入る前に奥利根の歴史について少し話しておきたい。利根川の最奥の集落は平家・落人の集落といわれた藤原集落である。その奥は屈指の豪雪とと峻険(しゅんけん)な地形に守られ、獣を追う猟師と鉱脈を探す山師だけが入る、隔絶された別世界、まさに秘境であった。

 それでも明治の頃には新潟側から入った山師によって、藤原集落の遥かな奥地、現在の奥利根湖のあるあたりに、湯ノ花温泉が開拓されたといわれる。

 一方、利根川の水源調査は明治時代半ばから本格的に始まったが、峻険な岸壁などに難渋して、水源確認がなされたのは、昭和29年の第3回目の調査で。昭和42年、矢木沢ダムが完成し奥利根湖が生まれ、奥利根の歴史に一区切りがついた。それと共に湯ノ花温泉は湖底に沈み、源流への陸路は絶たれ、奥利根源流は湖水のかなたに封じられた。

 我々が秘境・奥利根を知ったのは、奥利根湖誕生の数年後のこと。当時、縁あって集まった素人集団の渓流釣りの仲間が、なかなか思うような釣りができないと悩んでいた。いろいろ情報を持ち寄ってみると、面白い釣りをするには、あまり人が行かない、行けない、魚のたくさん残って居そうな場所を見つける必要があるということになった。

 そうなると、釣りの腕は置いといて、10代から山歩きをやっていて、山事情には詳しいと思われているこちらへ、皆の視線が集まることになる。

 当時、谷川岳山塊はよく通った。土合から白毛門を経て笠ケ岳から朝日岳にテントを張り、帰路は宝川へ下り、宝川温泉の露天風呂で手足を伸ばすのが、決まりになっていた。この温泉は奥利根山岳会の本拠になっていて、奥利根情報の宝庫であり、ここで発行されていたローカルな「秘境奥利根の地図」が手元にあったのだ。

 人があまり行かない、いや簡単に行けない渓なら、ここにあるぞということになった。それは奥利根湖のかなたで、舟が必要だ。

 大した確認もしないまま、仲間で5馬力の舟外機とボートを買い込み車の屋根に積んで、出発した。

 何とも乱暴な話であるが、ここから奥利根通いと、乏しい情報収集も始まった。

 残念ながら、伝説の3尺イワナに出合うことはなかったが、少なくとも2尺(約60・6センチ)を超えるイワナとは幾度か出合うこととなった。

 そして、出合ったのは夢に見た大イワナだけではなかった。

 動物、植物、気象、全ての自然は時に上機嫌で心地よく我々を迎えてくれた。

 しかし、決して優しさだけではなかった。峻険な地形にたびたび行く手を阻まれた。時に凶暴な自然が牙をむいた。豪雨ともなれば、渓は激流に変身して、命を脅かした。命を守る難しさも、命の大切さもここで学んだ。

 手元に「尺七寸五分」(約53センチ)と記された奥利根イワナの剥製がある。出合った最大のイワナではないが、一番精かんな面構えのオスのイワナだ。

 人生のピンチの時、このイワナの向こうに奥利根を見つめたことが幾度かある。

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