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荒波人生だけど 夫婦はベタナギ 結婚から一度もケンカせず

[ 2017年4月22日 05:30 ]

先代から受け継いだ、かせ丸とともに
Photo By スポニチ

 【釣り宿 おかみ賛】千葉県外川・かせ丸の女将が竹内勝江さん(72)。結婚してから53年間、夫で当主の輝夫さん(77)とは一度もケンカをしたことがない。2人の出会いのきっかけをつくってくれたのはしっかり者の叔母さんだった。 (入江 千恵子)

 1944年(昭19)、銚子市外川で勝江さんは生まれた。父・竹内七五三吉(しめきち)さんはぞうりの製造業で、母・はつさんと3人家族だった。従業員が30人ほどいた時期もあったが戦争で材料の輸入が滞り廃業。戦後、毎日新聞の販売店を始めた。

 勝江さんは小学生のときから20〜30軒の配達や集金をする働きもので、中学校ではバレーボール部で汗を流す活発な少女時代を送った。

 卒業後、銚子市内の薬局で働いていた17歳に悲劇が襲う。七五三吉さんが突然、トイレで倒れ、そのまま意識が戻ることなく帰らぬ人となった。64歳だった。

 「これから、どうしよう…と思いましたね」と当時の胸のうちを語る。

 残された母娘の手助けをしてくれたのが隣の家に住む母の妹・加瀬きのさんだった。母・はつさんとは正反対の男まさりな性格で、夫は漁船・かせ丸の船長をしていた。その船に乗っていたのが輝夫さんだった。

 きのさんの紹介で会うと、「本当に真面目でよく働く人。優しかった」。15歳から船に乗っていたという輝夫さんは「いつも船の上だから、女の人と会う機会もなかったよ」と優しくほほ笑んだ。

 当時、デートは電車とバスに乗り銚子市内へ。勝江さんは花柄のワンピース、輝夫さんはオープンシャツの装いでおしゃれをして出かけた。

 漁師町として隆盛を極めていた銚子には当時、7軒の映画館があった。「演芸館」や「日活」で映画を見て、ラーメンを食べるのが定番のデートコース。「石原裕次郎の“嵐を呼ぶ男”とか萬屋錦之介の映画とか、たくさん見ましたね」と2人は懐かしそうに振り返る。

 やがて20歳で結婚。翌年、長女・直美さんが、3年後には長男・良和さんが誕生した。同じころ、かせ丸が釣り船も始め、輝夫さんは仲乗りとして働いた。勝江さんは子育てと新聞販売店の業務、さらに魚加工場で働き、週末は女将・きのさんの手伝いをする多忙な日々を送った。

 50歳のとき、きのさんから「かせ丸を継いでくれないか」と持ちかけられた。やり手女将の後を継ぐのに不安もあった。しかし父親が亡くなってからずっと手助けをしてくれたお礼で覚悟を決めて引き受けた。

 最初は覚えることも多く苦労もあったが、早起きは新聞配達で慣れていた。インタビュー中にも予約の電話が入り、オモリの号数を輝夫さんに確認し手際よく答える。

 「仕掛けはいまだによく分からないけど…」と笑った。

 結婚して半世紀以上、ケンカをしない秘訣(ひけつ)は…「お互い我をはらない、欲をかかないこと」、輝夫さんは「強く言わないことかな」と話す。

 春のナギの海のように穏やかな2人だ。

 再び流れる携帯電話の着信音。常連のお客さんからの電話に明るく話す声が響いた。

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