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恩人の船受け継ぎ10年余、いつも笑顔で「おかえりなさい」

[ 2017年2月25日 05:30 ]

先代の二川船長から譲り受けた仙昇丸の前で。仲乗り時代から今年で20年
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【釣り宿 おかみ賛】茨城県那珂湊・仙昇丸 菊池麻衣さん

 茨城県那珂湊の仙昇丸の女将が菊池麻衣(あい)さん(39)。保育士の資格も持ち、現在は子育ての真っ最中。当主で夫の寿澄(すすむ)さん(53)とは14歳の年の差婚。きっかけは麻衣さんからの「逆ナンパ」だった!? (入江 千恵子)

◎「逆ナンパ」から仲が深まった!?

 1977年(昭52)5月、茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市)で麻衣さんは生まれた。

 父は健康食品を販売する自営業、母は会社員の共働きで忙しく、3人きょうだいの一番上の麻衣さんが妹や弟の面倒を見た。高校卒業後は、水戸市内の保育福祉専門学校で学び、保育士と幼稚園教諭の資格を取得。卒業後は保育園や学童保育で働きながら経験を積んだ。

 28歳の時、かけ持ちで働き始めた飲食店で運命の出会いが待っていた。 当時、サラリーマンをしながら釣り船・進栄丸の船長をしていた寿澄さんが店の常連客だった。第一印象を「セカンドバッグを肌身離さず持っていて、(お金が)いっぱい詰まっているんだろうな、と思いました」と、ユーモアたっぷりに振り返る。

 優しい寿澄さんはモテた。ライバルも少なくなかった。「逆ナンパされたんだよ」と寿澄さんは茨城弁で当時を思い返した。麻衣さんの積極さが功を奏し、2人の仲は深まっていった。

 釣りが好きだった寿澄さんは、仙昇丸の先代の船長である二川雅詳(まさよし)さんのもと、休日に仲乗りをしていた。結婚を後押したのも二川船長だった。

 しかし2人が結婚する1カ月前の06年9月、肝臓がんで他界。その後、二川船長の親族から「仙昇丸をやらないか」と提案され、引き継ぐことを決意。所有していた進栄丸を売却し、25年間勤めた会社の退職金と貯金、借金でお金を工面した。

 そして同年12月に寿澄船長は、仙昇丸を再び太平洋へと出港させた。

 29歳で女将になった麻衣さんは、多くの顧客を持つ仙昇丸を引き継いだことで最初は苦労もあった。「予約の電話が朝6時ごろから夜8時くらいまで、ひっきりなし。電話を隠したいと思った時もありましたね」と話す。

◎息子7歳娘2歳子育ても順調に

 やがて、32歳で長男の琉晟(りゅうせい)君(7)を出産。1歳の時から船に乗せ、4歳から釣りを仕込んだ。

 「船酔いするのに、パパと釣りがしたくて仕方ないみたいで」。隣で寿澄さんの顔がほころんだ。

 15年には長女の瑠音(るい)ちゃん(2)も誕生。現在は子育てをしながら女将の仕事もこなす忙しい日々を送る。時には思うようにいかないこともあるが、寿澄さんが「私のわがままも聞いてくれるし、本当に心が広い」と感謝する。

 女将として心掛けていることは「釣果が良いときも悪いときも、お客さまを“おかえりなさい”と笑顔を第一に出迎えることです」。

 麻衣さんの優しい笑みがこぼれた。

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