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熊本城 何十年かかっても石垣再生へ、“現代の清正”石工養成から

熊本地震で崩れた熊本城の石垣。上は天守閣
Photo By 共同

 【熊本地震“連震”1年から 一歩一歩】震度7を2度観測した熊本地震は、2度目の激震の本震から16日で1年。多数の屋根瓦が天守閣で落下し、国の特別史跡・石垣も大きな被害を受けた熊本城。天守閣の再生時期は2年後に定められ4月から作業が開始されたが、石垣は復旧のメドが立っていない。「武者返し」と呼ばれる特徴的な造りや、修復技術を持つ職人、石工(いしく)の不足という壁が立ちふさがる。市を中心とした再生チームは“石工養成作戦”で復活を目指している。

 県のシンボル、熊本城は、今も多くのエリアが立ち入り禁止で長いフェンスに囲まれている。観光客が入場を許されている城内の神社からは、美しい曲線を描く「武者返し」とともに、えぐるように崩れ落ちた箇所が見える。公開されていない場所では、多くの石垣が崩落した。熊本市は2019年のラグビーW杯日本大会の会場の一つ。市は「震災復興のシンボルに」と19年中にまずは天守閣の外観を元の姿に戻す計画を立て、工事を4月から開始。石垣の再生は20年後の2037年としているが、専門家からは「復旧のメドが立っていない」との声が上がる。構造力学が専門の熊本大の山尾敏孝教授(65)は「崩れた石を元通りに積み直す技術を持つ石工が不足している」と指摘。さらに戦国武将の加藤清正が敵の侵入を防ぐために築いた「武者返し」、強度を増すために長方形の石を交互に積む「算木(さんぎ)積み」なども“壁”となっているとする。

 山尾氏は「独特の構造も修復を難しくしていてこのままだと、いつ修復が終わるか分からない。ただ何年かかろうとも直さなければならない。そのために石工も養成しないといけない」と話す。石工は、石を加工して、石垣や石造橋などを造り、修復も行う職人。

 石垣は50カ所以上で崩落があり、崩れた石が7万〜10万個。熊本大は、それぞれの石が石垣のどの部分にあったのかをコンピューターで検索するシステムを開発したが、山尾氏は「修復するには、石工の技術が必要」と強調。石を一つ一つ積み直す作業でわずか数ミリの隙間ができてしまうと、複雑な構造ゆえに大きなゆがみにつながり、倒壊しやすくなってしまう恐れがある。地震による崩落で多数の石が傷つき、以前はなかった隙間を生む懸念があり、石工が石の形を整える必要がある。

 近年、石を資材とする公共事業が減るのに伴い石工も減少。戦国時代に全国の石垣を築いた石工集団の流れをくむ粟田建設(滋賀県)の粟田純徳社長(48)によると、石工は全国に200人ほどで熊本城の仕事にかかれるのはごくわずか。

 そんな中、市を中心とした再生プロジェクトチームは、石工養成を本格化。11年から開講し、主に九州地区の参加者を募っていた石工養成講座を今年から全国に向けて呼びかけている。一人前になるには10〜15年かかるが、同講座の世話役の尾上一哉氏(64)は「文化財の再生を加速させるためにも力を注ぎ続けたい」と語った。

 ▼熊本城 城造りの名人と言われた戦国武将の加藤清正が築いた。完成は1607年。後に細川氏が熊本藩主となり、明治維新まで居城とした。熊本市によると、江戸時代に大地震で3回被災した記録が残る。明治時代は政府が軍の司令部「鎮台」を城内に設置。1877年の西南戦争中に、城内で火災が生じ天守閣などが焼失した。現在は特別史跡に指定されており、地震前には170万人前後の観光客が毎年訪れていた。

 《熊本市が復旧・復元試算634億円》熊本市の試算では、熊本城の復旧・復元には634億円を要するとされる。それを支えるのが「復興城主制度」だ。1万円以上の寄付に対して城主証と城主手形が送られ、手形は市内の観光施設や店舗で割引などの特典がある優待券として使用できる。同市によると、昨年11月に導入し、これまでに5万人を超える“復興城主”から約9億円の寄付が集まっている。今年2月からは検索サイト「ヤフー」のネット募金でも応募できるようになり、復興城主の数を増やしている。

[ 2017年4月16日 05:30 ]

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