×

【コラム】戸塚啓

予告先発を考える

[ 2012年4月6日 06:00 ]

戸塚啓氏の新刊「僕らはつよくなりたい」(税込1470円、幻冬舎)が発売に。東北高校野球部の活動をつづった懇親の一冊
Photo By スポニチ

 あらかじめ分かってしまうと、それだけで楽しみが減ってしまうものだろうか。プロ野球の予告先発に関する議論をのぞいていると、そんなことを考えたりする。今年からセ・リーグも予告先発を採用しているが、あまり歓迎されているようには見受けられない。

 そもそも予告先発という制度は、ファンにどんなメリットがあるのだろう。ピッチャーはローテーションを守って登板するものだから、わざわざ予告されなくても察しはつく。しばらく考えてみたのだが、これといったメリットは思い浮かばなかった。サービスが空回りしている。

 サッカーに予告できるもの、予告してほしいものはあるだろうか。

 野球と違って攻めと守りに別れて試合が進行しないので、一部のポジションを発表することには無理がある。FWを明かせば、システムの全体像を明らかにするのとほぼ同じだ。かといって、GKを事前に告知されても、新しい興味を提供することにはつながらない。

 ならば、スタメンをすべて発表してしまうのは?

 これはやはり乱暴だ。監督や選手から、試合前の駆け引きを奪ってしまう。試合の見どころも削り取られてしまう。予想もつかないメンバー変更をしてきたチームに対して、相手側の監督や選手がどのように対応するのかも、大切なポイントのひとつだからだ。

 僕自身が事前に知りたいものがあるとすれば、そのゲームを担当する主審だ。あらかじめ主審が分かっていれば、どんなタイプなのか、自分が応援するチームとの相性はどうなのか、といったことが気になってくる。直近のゲームで、どんなジャッジをしていたのかも。ひとりの主審をきっかけにあれこれと過去のデータを掘り起こし、興味深い事実に行き着いたりするのは、なかなか楽しいものだ。

 クラシコで主審がクローズアップされるのは、その主審がどのようにクラシコと関わってきたのかを、監督も選手も観衆も、メディアを通じてあらかじめ知らされているからだろう。「前回笛を吹いた時はレアルにPKを与えた」とか、「彼が主審をした試合のバルサは勝率が良くない」とかいう事前情報が、キックオフの前から試合を盛り上げてくれているのだ。

 話をもういちど「予告先発」に戻そう。

 かつて日本代表を率いたジーコは、予告先発へのためらいがなかった。彼自身が「明日試合があるなら」という前提で話した先発メンバーの発表は、いつしか記者会見での定番となった。僕は雑誌の取材で彼に何度もインタビューをしたが、そこでもジーコは予告先発をしてくれた。試合まで数週間の猶予があっても、である。

 そんな彼が、予告先発を何度か拒否したことがある。いつもなら知ることのできる情報に、いつもどおりのタイミングで触れられないと、何だかとても物足りない気持ちになり、それでいて想像力をかっきたてられたものだ。

 ジーコはどのポジションに悩んでいるのだろう。左サイド? 右サイド? マッチアップする相手選手は? あれこれと考えを巡らせるのは悪くない時間だった。

 事前に告知される情報の有無にかかわらず、その競技が好きな人はスタジアムへ足を運ぶ。スタジアムに来た人を満足させられるか、来ていない人をいかに呼び込むのかの第一歩が、チームとしての魅力を高めることにあるのは間違いない。(戸塚啓=スポーツライター)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る