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【コラム】金子達仁

シュートを「決めろ!」とは言わない日本人

[ 2018年9月20日 18:00 ]

 前日付のスポニチに載っていた柔道・井上康生監督の言葉が印象的だった。

 「柔道は常に期待され、常勝軍団であることが求められる。(中略)そういう期待があるからこそ、我々は強い気持ちで戦うことができる」

 期待は、時に重圧にもなる。選手にとっては必ずしも愉快な状況ではない。だが、世界で最も柔道選手に過酷なこの国の空気が、肉体接触を伴う競技でありながら、日本の柔道に国際競争力をもたらしている。わたしは、そう理解している。

 その空気をサッカーに、と言いたいわけではない。簡単なことではないし、時間もかかる。ただ、ヒントにすることはできるし、長く患ってきた病への対処法にもなるのではないか。そんな気がしたのだ。

 決定力不足、という病に対しての。

 テレビでサッカー中継を見て、解説者のこんなフレーズを聞いたことはないだろうか。

 「シュートで終わったからいいですねえ」

 解説者に限ったことではない。日本のサッカー関係者のほとんどは、そう考えている気がする。子供や学生のサッカーを見ていても、チャンスになると「打っとけ!」と叫ぶ仲間やコーチの何と多いことか。

 恥ずかしながら、わたし自身、何の疑いも持たずにそう叫び続けてきた人間の一人である。ただ、冷静に考えてみると、これはおかしい。相当におかしい。

 サッカーにおけるフィニッシュは、シュートを打つことではない。得点を決めることなのだから。

 だが、なぜか日本人は「決めろ!」とは叫ばない。「打て!」「打っとけ!」と叫び、それがどんな結果に終わろうとも、ひとまずは肯定される。

 つまり、打つ選手は、決めることを期待されていないのである。少なくとも、五輪に臨む日本の柔道選手や、欧米のストライカーたちほどには。誤解を恐れずに言いきってしまえば、世界で最も甘やかされ、期待されずに育っていくのが、日本のシューターたちなのだ。

 先週のブンデスリーガで興味深い場面があった。デュッセルドルフ対ホッフェンハイム。圧倒的に攻めたのはアウェーのホッフェンハイムだったが、クロアチア代表のクラマリッチが超決定機を逃したこともあり、1―2で敗れた。

 するとどうなったか。試合後のテレビでは、クラマリッチにマイクが突きつけられたのである。

 日本人の感覚からすれば、死者に鞭(むち)打つというか、水に落ちた犬を叩くにも似た行為だが、見方を変えれば、それだけクラマリッチは決めることを期待されていた、ということにもなる。

 期待されるストライカーとされないストライカー。「決めるしかない」との思いでシュートを打つ選手と、「打っとくか」の選手。照準器のついた銃で狙う選手と、「あのあたり」へ打つ選手。両者の決定率には、何の違いも出てこないだろうか。

 いよいよ欧州CLが開幕し、ファンは日本と海外のサッカーを両方愉(たの)しめる時期になった。わたしが痛感するのは、Jリーガーたちの決定機に対する思いの薄さである。(金子達仁氏=スポーツライター)

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