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【コラム】金子達仁

広がる“機械の目”は“神の手”を許さない

[ 2017年8月26日 06:00 ]

“神の手”がなければ、マラドーナがW杯を掲げることもなかったのか?
Photo By スポニチ

 GKへのバックパスを手で処理することを禁止するルールの導入が検討され始めたころ、聞こえてきたのは反対意見ばかりだった印象がある。

 個人的によく覚えているのは、海外の著名なジャーナリストが展開していた「バックパスの禁止は、選択の自由を制限するもので、デモクラシーの申し子ともいうべきサッカーにはふさわしくない」という論だった。

 だが、94年のW杯米国大会に向けて新たな市場開拓に必死だったFIFAは、相当に強かったであろう現場の反対を押し切り、92年に世界的にこのルールを導入する。

 結果、どうなったか。

 バックパスを禁止した最大の狙いは、唯一手を使うことのできるGKを利用しての無意味な時間稼ぎを減らすことにあった。その目論見(もくろみ)がほぼ達成されたことは、92年以前の試合をビデオで見てみるとよくわかる。現代のサッカーに慣れてしまった目には、信じられないほど――はっきり言ってしまえばかったるいのだ。デモクラシーに反するルールだったかもしれないが、サッカーは確実にスピーディーに、そしてエキサイティングになった。

 だが、ルール変更が及ぼした影響はそれだけではなかった。というより、それ以外の部分の方が大きかった。

 92年以前のサッカーにおいて、前線からのチェイス、プレスはいまほどに有効ではなかった。危険を感じたDFはGKにボールを戻しておけば、それで安全は保証されたからである。

 ルールの変更は、ピッチの中から安全地帯を消し去った。プレスは、チェイスは、それまでとは比較にならないほど効果的な意味を持つようになった。もしバックパスが許され続けていたら、ボールポゼッションを重視するサッカーはいまほどには認知されず、“ゲーゲン・プレス”などの対抗策が生まれることもなかっただろう。

 小さなルール変更が、サッカーを大きく変えたのである。

 同じことが、起こりそうな気がする。

 先週末に開幕したブンデスリーガでは、ビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)が導入された。ゴールの判定だけでなく、オフサイドや反則の位置や有無までもテクノロジーの力を借りて判定しようというわけである。この流れ、いずれは全世界に広がっていくことだろう。

 するとどうなるか。

 オフサイドの見逃しがなくなるということは、オフサイドトラップはいまよりも有効な戦術となる。審判の目を盗むのが難しくなることで、いわゆる“マリーシア”が意味を失う。

 ゴール。歓喜。抗議。VARによる再判定。結果発表。こんな得点シーン、わたしにはまだるっこしいだけだが、きっと、そこがいいという世代も出てくるだろう。

 ともあれ、サッカー界は二度と“神の手”を生まない方向へと大きく舵(かじ)を切った。未来のサッカーは、いまわたしたちが見ているものとは、また少し違ったものになる。(金子達仁氏=スポーツライター)

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