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死闘

フランス代表デシャン監督
Photo By AP

 リヨン(OL)がチャンピオンズリーグ出場を決めた5月7日夜、煌びやかなパルク・オランピック・リヨネ(リヨンの新スタジアム)で、彼は懸命に微笑みながら、目を真っ赤に腫らしていた。強靭なメンタルで知られる彼が涙を隠せなかったのは、これが初めて。それはあまりにも痛々しい姿だった。

 マテュー・ヴァルビュエナ、31歳。2014年W杯で、「こんな選手がいたの?」と驚いた方も多かったと思う。小さな体でちょこまかと動きながら、見事にレ・ブルー(フランス代表)のプレーを組み立てた司令塔。どんな試練も乗り越えてきた根性の男。彼なしにレ・ブルーはここまで来られなかったと断言してもいい。それなのに――。

 彼は99%の確率で、自国開催EURO2016のリスト(5月12日夜発表)に入れなくなった。奇跡でも起こらない限り難しいだろう。

 理不尽な話である。被害者なのに庇ってもらえず、逆にまるで加害者だったかのようにいじめられ、挙句にトドメを刺されたのだから。だから私は、せめて彼の勇敢さをここに記録したいと思う。

 ヴァルビュエナの人生は死闘の連続だった。

 まず「チビだ」という理由でボルドー育成センターから、アマチュアクラブに捨てられた。だがシューズ売りのバイトをしながら這い上がり、天下のマルセイユ(OM)に拾われる。次は「すぐ倒れる嫌なヤツ」のレッテルを貼られた。敵DF陣をキリキリ舞いさせ、削ればファウルをとられるからだった。だがエリック・ゲレッツ監督に才能を認められ、OMの主力にのし上がる。削られても倒れない習慣も身につけた。

 ところがディディエ・デシャン監督のOM到来でリュッチョに座を奪われ、ベンチに逆戻り。デシャンとは一触即発の関係にもなる。だがリュッチョのプレーを学びながらプレーの無駄を削ぎ、ついにデシャンに実力を認めさせる。

 とはいえフランス代表では報われず、2010年W杯にもEURO2012にも参加しながら結局“ベンチ磨き”。だがデシャンが代表監督に就任し、過去の軋轢に囚われずヴァルビュエナを起用したことで、また這い上がる。以来彼は、代表に不可欠な存在となり、忌まわしい事件が起こるまで、デシャン指揮下のほぼ全試合に出場。プレーしなかったのは2014年W杯エクアドル戦のみで、それも休ませてもらったのだった。

 OMに8年間も尽くしてモスクワに移籍したヴァルビュエナは、そこでも大活躍。ただ遠国での活躍はフランス人の目に見えにくい。そこでヴァルビュエナは、「念には念を」の思いでリヨンにやってくる。全てはEURO2016のためだった。ところがOLで天狗になっていた若手たちが、ヴァルビュエナの年棒に嫉妬、孤立させられた。

 だがそれでも這い上がる。2015年9月4日のポルトガル・フランス戦(0-1)では、クラブでの不振からベンチスタートさせられたが、試合終了10分前に投入されるや直接FKを決め、レ・ブルーに勝利をもたらす。

 ところが今度は古巣OMが、ヴァルビュエナいじめに加わった。OL移籍は「裏切りだ」というのだった。こうして9月20日、ヴェロドロームでおこなわれたOM・OL戦(1-1)では、ヴァルビュエナの首吊り人形まで登場する異様な事態に。CKを蹴ろうとするとあらゆる物が飛んできて、試合が中断したほどだった。それでも彼は怯まず、文句も言わず、黙々と戦い続ける。何もなくてもプレッシャーで潰れる選手が多いOM。それなのに彼はそれをものともしなかったのだ。人々は彼の勇敢さに驚嘆した。

 とはいえOLでの孤立は続き、さすがのヴァルビュエナも終わりか、と思わせた。だが10月23日、トゥールーズ戦(3-0)でまた1ゴール1アシストの完璧な試合を披露、OL勝利に貢献する。

 そして11月5日、“セックステープ事件”が明るみに出た。私生活のセックス映像を撮影した携帯電話が盗まれ、これをネタに恐喝されたヴァルビュエナは犯人を告訴。ところがそこにベンゼマが絡んでいた容疑が浮上したのだった。明らかに被害者はヴァルビュエナである。

 だがフランスフットボール連盟(FFF)会長は、真っ先にベンゼマを庇う。被害者への思いやりは忘れてしまった。EURO失敗と自身の首が飛ぶのを恐れるあまり、と思われても仕方ない対応だった。デシャンも「スポーツ面が第一基準」として、暗にベンゼマを優先する姿勢をとった。ヴァルビュエナは誰にも庇ってもらえなかったのだ。

 それどころかリヨンでは、「告訴を取り下げろ」という脅迫まがいの圧力まで受け始めた。OLはベンゼマの古巣だからである。あるOL幹部に至っては、「片方がEUROに出場できないなら、もう片方も出場すべきじゃないだろう」と公言。まるで江戸時代の“喧嘩両成敗”みたいな話である。そういえば浅野内匠頭も、いじめの被害者でありながら追い詰められ、トドメを刺されたものだった(もしベンゼマが“お咎めなし”とされていたら、それこそ吉良上野介、会長と監督は綱吉になっていたのではないか?!)。

 そしてひどい仕打ちのなか、ついにヴァルビュエナはケガに陥る。それも2度。しかも「彼がいない方がうまくいく」とでも言いたいかのように、チームは結果を出し始めた。

 だがまた這い上がる。ケガから立ち直り、ベンチでも文句も言わず、モンペリエ戦(2016年4月8日、0-2)に途中投入されるやアシスト。それでも先発はもらえなかった。このときヴァルビュエナは、ついに人目を忍んで泣き崩れたという。それを見た代理人は慌てて両親に電話、「すぐにリヨンに駆けつけて支えてやってくれ」と伝えたそうだ。

 両親も黙って耐えた。「レキップ」紙のテレビ版「レキップ21」のインタビューに初めて登場した父親は、息子の代表ユニホームを愛おしげに撫でながら、ギヨーム・デュフィ記者の「言いたいことがあるでしょう」の問いに、「ある」とだけ言って口を噤んだ。「あるけどいまは言わない?」と聞かれると、「そう、言わない」と答えた。

 ヴァルビュエナが3度目のケガに見舞われたのは4月末。もうEUROは終わりだと誰もが悟った。それでも這い上がる。痛みをこらえて壮絶なトレーニングを再開、執念で5月7日のモナコ戦に出場しようとしたのだ。マッチペーパーにも名が入った。もしや、と誰もが固唾を呑む。途中出場でまた這い上がるかもしれないからだ。だが試合直前の20時15分、まるでギロチンの刃が落とされるように、ヴァルビュエナは外された。コンディション不良と判断されたのだった。ベンチに彼の涙が落ちていった。

 私は2010年W杯ナイスナ事件以上に、今回の事件に失望した。なぜならナイスナは、スポーツ的には大失望だったが、どこか人間くさかったからだ。連帯の置き所も敵も間違えて愚かだったけれど、少なくとも選手たちは追放されそうなアネルカを救おうと必死で“ストライキ”に立ちあがった。だが今回は誰も被害者を救おうとしなかった。みなが彼を“黙殺”して、自分だけ生き残ろうとしたように見えるのである。

 唯一の救いは、フランス人一般がヴァルビュエナを応援したという点だ。私生活をほじくられて恐喝され、それでも死闘でプロフェッショナリズムを貫いた“ヴァルビュ”は、フットボーラー人気番付3位に浮上した。ムスリム差別主義者もいるが、大多数は正義と連帯のために彼を支援したと私はみる。

 これからEURO一色になるフランス。だが開幕までにフットボール界からも、せめてヴァルビュエナを労う人間的な言葉を聞きたいものである。(結城麻里=パリ通信員)

[ 2016年5月14日 05:30 ]

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