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【コラム】海外通信員

次期ミラン監督!?エウセビオ・ディフランチェスコとは

[ 2016年3月18日 05:30 ]

来季、ACミランを率いる指揮官は?
Photo By スポニチ

 3月6日のセリエA第28節で、サッスオーロはミランを2-0で破った。恐るべきは、そのミランキラーぶりである。本田圭佑のセリエAデビュー戦となった2014年1月10日の試合は、ドメニコ・ベラルディの4ゴールで大勝。2014~15シーズンではアウェーとホームの両方で勝利を収めた。昨シーズン10月25日の試合では1-2で敗れたものの、退場者を出しながら相手を圧倒していた。こうなれば、こんな記事も当然出てくる。「ミランはミハイロビッチ監督を今季限りで解任し、後任にサッスオーロのディ・フランチェスコ監督の招へいを画策している」むろん現時点で現実味のない記事ではある。ただ10月のミランvsサッスオーロ戦の後では、試合内容にいたく感激したミランのシルビオ・ベルルスコーニ名誉会長がアウェーチームのロッカールームを訪れ、健闘を祝福している。

 エウセビオ・ディフランチェスコ、イタリア中部ペスカーラ生まれの46歳。今シーズン、最も評価を上げた青年監督の1人だ。サッスオーロを就任1年目でクラブ史上初のセリエA昇格に導いたのち、右肩上がりにチームを強くし、4年目の今シーズンは第29節終了時点で勝ち点44の7位。4-3-3のシステムの元で攻撃サッカーを駆使し、イタリア人を中心とした若いタレントぞろいのチームを作り上げた手腕も高く評価されており、ビッグクラブへのステップアップが噂される指導者である。

 優秀なリンクマンとして定評を確立した元イタリア代表MFであり、4年間所属したローマではスクデット獲得も経験している。あの中田英寿氏の同僚としての姿を記憶されている方も多いことだろう。もっとも彼がスタメンとして活躍したのは優勝監督のファビオ・カペッロの元ではなく、その前任であるズデニク・ゼーマンの時代だ。当時4-3-3による攻撃サッカーを操り、フランチェスコ・トッティをはじめとした数々のタレントを猛練習で鍛え上げた。そしてその時、ディフランチェスコは選手として多くのことを吸収した。「走ること、組織としてプレーすることの重要性、選手に楽しんでサッカーをしてもらう姿勢、そして練習を大切にする文化などはその時に教えられた」と彼は地元メディアに述懐している。

 2005年に現役引退。しかし現在のような指導者になるには時間を要した。真面目な人間性が評価され、トッティに請われてチームマネージャーとして1年間働くが、その後は郷里に戻ってレストランを経営しつつ、第4部のバル・ディ・サングロの強化部長として働く。だが当時の監督の解任に怒ってやめたのち(ちなみにその人物は現在サッスオーロで助監督を務めている)、思い立って2008年から監督に挑戦する。キャリア2年目で第3部のペスカーラをBに昇格させるなどなかなかの成績を挙げていたのだが、2011年から就任したレッチェでは低迷し解任の憂き目にあう。その時、宙ぶらりんになっていた彼の背中を押したのが師匠のゼーマンだったのだという。「君が何をしたいのかをはっきりと自分で意識できれば、君は監督になれるだろう」それから彼は、ゼーマン時代に学んだことをベースに研鑽を積み始めた。

 実家がホテルとレストランを営んでおり、家業の手伝いで高校生の頃からウエイターをやるなど、働くことには慣れていた。そんなディフランチェスコは懸命にサッカー指導の研究に励み、また日々密度の濃い練習を選手に提供したの結果が、現在のサッスオーロの躍進につながっている。自らを「ゼーマンの信奉者」と語るが、その一方で決して師匠の猿真似に終わってはいない。守備をするときにはラインをしっかりと下げ、特には3バックなどの守備的な戦術をとることもいとわない。攻撃サッカーを敷いて選手やファンを楽しませながら、手堅く結果を得るために必要な守備や戦術も大事できる監督として、国内外の評価は高まっている。

 シーズン後には、間違いなく他クラブからのオファーが寄せられることだろう。しかしサッスオーロのオーナーであるジョルジョ・スクインツィ氏は「ディフランチェスコ監督との契約を延長する考えだ」と話している。(神尾光臣=イタリア通信員)

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