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【コラム】海外通信員

プロサッカー界は理想郷!?反旗を翻したハビ・ポベス

[ 2015年10月15日 05:30 ]

 EU域内のクラブ間の移籍を自由化させ、プロサッカー界の自由競争の加速を促したボスマン判決から、今年で20年目を迎えた。クラブや選手のアイデンティティーを損なうとも騒がれた一大革命は、もはや普遍のものへと変わり、移籍金額=選手の価値とすることもごく自然となった。またテレビ放送権ビジネスは肥大し続けており、スペインでは有料放送局が初めてリーガエスパニョーラを放送した25年前と比較して、じつに166倍となる1億2000万ユーロの放送権収入を手にするようになっている。

 放送権収入の分配比率はリーグによって異なるものの、リーガであればレアル・マドリード、バルセロナが優遇される状況が続き、同収入の増加はそのまま2強とその他の格差を生み出す要因となった。そのような状況下で、選手の値段と称せる移籍金は、現時点でガレス・ベイルの1億ユーロから0ユーロまで開き、選手の年俸及び肖像権収入も所属クラブの違いで大きな差が生じている。

 リーガ1部&2部では約1000人の選手がプレーしているが、選手時代に残りの人生の金も稼げるのは、ごくわずかだ。もちろん、メディアによって常に注目の的とされるスター選手たちは、金を稼ぐ代わりにさらなる重圧を受けることにもなるが、彼らと勝ち組となれなかった選手たちの苦しみと報いは、はたして等式で結ぶことができるのだろうか。無論、答えは人それぞれだろう。そして、その問い以前に記したことの正否も人それぞれであり、それは社会への価値観に準ずるものとなるはずだ。

 さて、そんなプロサッカー界で、2011年夏に反旗を翻した人物がいた。その名は、ハビ・ポベス。ピッチは「腐敗と金」に汚染されていると、わずか25歳で選手としてのキャリアを放棄した男である

 マドリード州出身のポベスは、アトレティコ・マドリード、ラージョ・バジェカーノ、ラス・ロサス、ナバルカルネーロと地元クラブの下部組織を転々として、2008年にスペインの北部にあるアストゥリアス州のスポルティング・ヒホンに加入。2010~11シーズンにはトップチームに昇格したが、出場機会には恵まれることなく、10カ月間の努力の褒賞として最終節エルクレス戦で起用されるにとどまった。そして、その試合は彼にとって、記念すべきリーガ1部デビューの試合にして、最後の一戦になったのだった。

 センターバックを本職とし、その足の速さから左サイドバックとしてもプレーできた。スポルティングに残留できるかは不透明だったものの、リーガ2部や2部B(実質3部)とプロレベルで通用する実力はあり、現にその両カテゴリーのクラブからオファーは届いていた。しかしながら彼が下した決断は、スポルティングとの契約を解消して、スパイクを脱ぐことだった。「腐敗と金」の世界からいなくなりたかったという引退理由は、スペイン国内で大きな話題となり、多くのメディアから取材が殺到することに。ポベスはテレビ以外のメディアに対しては口を開き、自身の思いを語っている。

 「サッカーが僕の人生ではないと悟ったんだよ。サッカーを知れば知るほど、すべては金であり、希望というものを失わせる。この世界の幸運は、ほかの人々の不幸にすることで生まれているものだ」

 「ペレ、ロナウジーニョ、メッシはユニセフの親善大使だが、やっていることはまったく物足りないね。もっと積極的に世界と向き合っていかなければならない。僕は真の意味で社会を助けていきたい。南米、アフリカ、アジアの人々の犠牲によって金を手にする。そんなシステムの上にはいたくないんだ」

 こうしてポベスは、反資本主義者のレッテルを張られながら、世界の真実を探す旅へと出かけた。最初に赴いたのは、セネガル。ダカールの郊外で、現地人一家と暮らし始めた。彼はそこで、存在を忌み嫌うNGO団体と接触することなく慈善活動を行おうとしたが、実現はかなわなかった。セネガル入国の際、医療産業への不信感のために予防接種を受けず、マラリアにかかったためだ。幸いにも病気は完治したが、ポベスはセネガルを少し見知るだけで、マドリードへと戻ることになった。

 だがポベスの旅はそこで終わらず、次にはアメリカ大陸へと渡り、ヒッチハイクとバス移動で貧困地域を見て回った。メキシコでは反帝国主義思想を強めて自身のメールアドレスにアンティインペリアリスタ(反帝国主義)という言葉を加え、キューバでは考えていたよりも自由がなく、格差がいまだ根強く存在していたことを嘆き、ベネズエラでは反対に故ウーゴ・チャベス元大統領の貧困対策に感銘を受けている。その後にはブラジルへ渡ったようだが、3~4日おきに連絡を取っていた家族にも具体的な居場所を知らせることはなく、何をして、何を感じ取っていたのかは定かではなくなった。

 姿が見えなくなったポベスだが、2014年にようやく旅を終え、マドリードへと戻っている。セネガルから始まった3年の旅は、じつに35カ国を回る壮大なものとなったが、その間ホテルに泊まったことはなく、海岸、掘っ立て小屋、はてにはアマゾンの中で眠ったという。ポベスはこの旅を、次のように振り返る。

 「格差に驚きを感じる国があった。ただ、すべての金持ちが悪いわけではなく、すべての貧困者が良い人間というわけでもなかったね。いずれにせよ、この旅は人生における最高の決断だったと思う」

 ポベスが旅を終えた後に取り組んだのは、ほかの何でもなく、サッカーであった。彼は2014~15シーズンに国内リーグ3部(実質4部)のサン・セバスティアン・デ・ロス・レジェスに在籍。「靴下も買えない」給料のクラブに加入した理由は、「単に楽しみたかった。3部なら子供の気持ちでプレーできる」から。結局、「サッカーを取り巻く環境は嫌悪の対象にしかなり得ない」と、プロサッカー界に拒否反応を示すのは変わらない。彼にとってその世界は、「人間を阿呆にしてしまう」ものなのだという。

 2014~15シーズン終了後、ポベスはアマチュア選手としての活動も停止し、恋人、また最近生まれた子供と、家族としてマドリードに腰を落ち着けている。彼が再びサッカーと交わることがあるかは、誰にも分からない。今年の9月28日に29歳となった彼は、こう語る。「誰が自分のことを反資本主義者なんて言ったのかは知らない。確かにプロサッカー界は嫌いだし、資本主義も好きじゃない。だけど僕もテアトロには行くし、タクシーも使う。つまりは、資本主義者と反資本主義者のどちらにとっても、自分は背教者というわけさ(笑)」。しかしながら、それでもポベスが、少なくとも今の彼が愛することのできるプロサッカー界は、それこそ理想郷にしかなり得ないのだろう。(江間慎一郎=マドリード通信員)

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