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【コラム】海外通信員

アーセナルに定着できなかった選手が歩んだキャリアとは

[ 2015年9月23日 05:30 ]

アーセナルに定着できなかった選手が歩んだキャリアとは…
Photo By 提供写真

 プレミアリーグの移籍金総額は昨季より4%アップし、史上最高額の8億7千万ポンド(約1600億円)に達した。最も多くの移籍資金を投じたマンチェスター・シティーは約300億円、岡崎慎司の所属するレスター・シティーも約50億円という多額の資金が、主に欧州内のリーグで活躍している選手獲得のために使われた。お金をかけて価値のある選手を獲得するということは、同時にチーム内の誰かがイスを譲らなければならないというのはプロの世界では自明なことだ。

 育成強化のために新設されたU-21のリーグ戦でアーセナルの試合を観戦したが、トップチームが獲得してくる選手と若手選手たちとの実力差は、誰の目にも明らかだった。彼らがアレクシス・サンチェスから先発の座を奪うことは、おそらくないだろう。アーセナルという華やかな舞台から降りたあと、彼らは一体どのようなキャリアを積んでいくのだろうかと気になっていた。

 そんななかアーセナルのアカデミー育ちでトップチームでもプレー経験がある35歳の元選手にロンドン市内で会うことができた。チームを去るときの当時の心境や引退後のセカンドキャリアなどについて聞くと、実直に語ってくれた。

 「アーセナルからカーディフ(当時4部)に移籍したことで、完全に目が覚めたね。カーディフからのオファーをアーセナルが許可した時点で、僕はクラブから必要とされてないと悟った。傷ついたとか、そうでなかったとか問題ではなくて、19歳の自分が見た現実だね。ただし、カーディフの監督とロンドン市内で会って、彼が描くビジョンを説明してくれた。ウェールズ人の若手を育てあげて、リーグ昇格を目指すというものだった。アーセナルの何でも揃っている環境とは違い、もっているキットは自分で洗い、ピッチはラグビー場のように荒れていたけど、そこでは存分にフットボールをプレーすることができた」

 元アーセナルのリス・ウェストンという選手を日本語で検索しても、彼に関するページはほとんどでてこない。アーセナルのトップチームでの出場試合数は1999~2000年に3試合出場しただけで、4部に相当するカーディフ・シティーに移籍した。アカデミー時代には、ジュビロ磐田に所属するジェイ・ボスロイドともプレーしたウェストンは、アーセナルのトップチームに定着できなった理由を次のように語った。

 「アーセナル時代の自分の最大の弱点は、メンタル部分だった。ここでやっていける力が自分にはあると確信してプレーすることができなかった。(アンリ、ベルカンプ、ヴィエラが所属している)トップチームに慣れたのは、クラブを去る数週間前だったと思う。ウェールズ代表に参加したときにも、ライアン・ギグスはすぐに僕の弱点を見破っていたね」

 カーディフ・シティーに移籍後は200試合以上出場し、チャンピオンシップまでの昇格を果たした。その後は、国内のチームや、ノルウェー、マレーシアのクラブを経て、2年前にAFCウィンブルドンで選手としてのキャリアを閉じた。様々なカテゴリーでプレーしたウェストンであるが、受け入れるのに時間がかかったこともあるようだ。

 「華やかな経歴ではないし、国内だけでなく海外の無名クラブでもプレーをしてきたが、まだあいつはプレーしているのか?という声を聞くのは、結構こたえたね。そして、カーディフから移籍を繰り返していく度に、給与はどんどん下がっていった。生活費を稼ぐためだけのサラリーに変わっていくことを受け入れるまでには時間がかかった。人々は、サッカー選手ならば億万長者として一生暮らしていると思っているけれど、それは全体の10%もいかないと思う。残りの90%は、引退後も働きつづけることになる。僕も引退する頃には、大きな貯金は残されてなかった。もっと抜け目なくやれたかもしれないけれど、後悔はないね」

 英国のプロサッカー選手協会によれば、国内の選手たちは、プレミアリーガーで週給500万700万円、チャンピオンシップは週給約100万円、3部や4部の選手たちは週給30万円~50万円を平均的に稼いでいる。一般的な感覚で言えば、かなりの額を貰っていることになるが、サッカー選手としてのキャリアは8年程度で、35歳を迎えればほとんどの選手が引退をしている。華やかな生活から一転して、5人に2人が引退後5年のうちに貯金を使い果たしているとも言われている。引退をしてからではなく現役中に、今後のキャリアのためコーチング資格取得、その他の教育機関で知識や経験を積むことの重要性がイングランド国内でも指摘されている。1年半前に引退したウェストンは現役中に色々と試してみた結果、新たに挑戦をすることを見つけだし、走りはじめている。

 「早くから引退後のことは考えていたから、ビジネスマネージメントの学校に通ってみた。勉強することの大事さは分かっていたつもりだ。しかし、勉強するだけで実践しないと楽しむことはできなかったので、6週間で区切りをつけた。何度か戻って勉強をやり直そうと思ったが、選手をしながら同じだけの労力を勉強にかけることはできないと思った。いまは幸運なことに、友人2人が運営しているゴルフの旅行サイトが成功しており、そこで仕事をやりながら学ぶ事ができている。違う世界のことに挑戦しているので怖さもあるが、自分が思い描いていることが実現できるようにしたい」

 アーセナルと契約を交わしてサッカー選手になった時点で大きな夢の一つ叶えたといっておかしくないが、全員がそのまま右肩上がりのプロ生活を送れるわけではない。現実と向き合いながらプレーを続ける選手が大半であり、そのような選手たちがチャンピオンシップ以下のリーグを支えている。彼らはいずれ引退し、様々なキャリアにつくであろうが、スポーツ発展のためには、欠かすことのできない人材をどのように取り込んでいくかが、FAやクラブ組織に問われるだろう。(竹山友陽=ロンドン通信員)

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