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【コラム】海外通信員

スペイン サッカーが暴力という汚名を着せられた日

[ 2014年12月14日 05:30 ]

ファン同士の乱闘騒ぎがあった11月30日アトレチコ・マドリード対デポルティーボ・ラコルーニャ
Photo By AP

 11月30日に行われたリーガエスパニョーラ第13節、ビセンテ・カルデロンでのアトレティコ・マドリード対デポルティボは熱狂的な雰囲気ではなく、ざわめきに包まれる試合となった。

 正午から開催されたその一戦の約3時間前、アトレティコのウルトラス“フレンテ・アトレティコ”とデポルティボのウルトラス“リアソール・ブルース”が、スタジアムから500メートル離れた場所で衝突。前者は極右、後者は極左集団として知られるが、イデオロギーを通わせる他クラブのウルトラスも交えながら乱闘騒ぎを起こした。約200人が参加した物の投げ合い、殴り合いは、“リアソール・ブルース”のメンバーであったフランシスコ・ハビエル・ロメロ・タボアダ(43)を死に至らしめている。“ジミー”という通称で知られていたタボアダは、数人に鉄棒で殴られてカルデロンのそばを流れるマンサナレス川に落ち、病院に搬送された後に死亡(死因は外傷性脳損傷)。彼が重体と報じられたのは試合開始の直前で、息を引き取ったのは終了直後のことだった。

 今回の衝突では“ジミー”のほか、頭部の打撲傷3人、軽度の打撲傷3人、顔面外傷1人、刃物で傷を負った者が3人おり、また現場に駆け付けた警察官の1人が指を骨折している。両ウルトラスは刃物の使用は禁止と決めていたようだが、関係なし。「来い!ぶっ殺してやるよ!」などの叫び声から始まった乱闘騒ぎは映像にも残されており、スペイン全土を震撼させた。

 両ウルトラスの衝突後、まず行われたのは各組織に対する責任追及だ。今回の乱闘騒ぎは昨季にリアソールで行われたデポルティボ対アトレティコで、“フレンテ・アトレティコ”のメンバーが“リアソール・ブルース”から暴行を受けたことに端を発するが、スペイン政府の反暴力委員会も警察も今回のような事件が起こることを想定できず、危険試合には指定しなかった。

 危険試合の指定は、対戦するクラブのウルトラスの関係性などから反暴力委員会が決定し、当日の新聞にも絶対にその旨が記されるものだ。危険試合に指定された試合では、アウェー側のウルトラスの移動バスが警察の車に先導され、スタジアム到着後も警察の管理下に置かれることになる。しかしながら今回、反暴力委員会は“フレンテ・アトレティコ”と“リアソール・ブルース”の間でここ6年にわたって衝突がなかったこと、ソーシャルネットワーク上でもそのようなやり取りが見受けられなかったことで、危険試合ではないと判断。デポルティボ側からは“リアソール・ブルース”が50人程(実際は100人以上)でマドリードへと向かう可能性が報告されていたものの、移動手段や時刻などが不明瞭であり、重要視すべき情報とは捉えられなかったという。

 次に責任が問われているのは、アトレティコ対デポルティボを延期としなかったスペインサッカー連盟(RFEF)とスペインプロリーグ機構(LFP)だ。試合の延期は両組織のコンセンサスの下で成立するが、LFPの会長ハビエル・テバスは両ウルトラスが乱闘を開始してから30分後にそれを聞きつけ、“ジミー”が重体となった後にRFEFに連絡を入れたものの、誰も電話に出なかったと主張。一方、テバスとの関係が悪化していることで知られるRFEFは、LFPから連絡が届いたのが試合開始の11分前だったとの声明を出し、延期とするには遅すぎたとの見解を示した。

 それらに加えて、アトレティコの会長エンリケ・セレソは試合終了直後に緊急会見を開き、「両クラブに責任はなく、サッカーにも関係はない」と発言。しかしながら事実として、ウルトラスに関連して11人目の死亡者が出てしまった。スペインサッカーの周囲で、また人が死んだのである。

 1960年代にイタリアで生まれたウルトラスという熱狂的サポーター集団が、スペインにまで波及したのは1980年代。1981年にパリで行われたチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)決勝レアル・マドリード対リバプール戦で、チケットを強奪されるなどしたレアルの若者ファンが、自衛を目的として“ウルトラス・スル”を結成したのが始まりであり、それ以降各クラブがウルトラスを抱えるようになった。だがアトレティコのDFフアンフラン・トーレスが「21世紀に暴力はいらない」と話したように、暴力を横行させ、スジアムを政治的プロパガンダの場としてき彼らはもう必要のない存在だ。スタジアムの雰囲気づくりには欠かせないなどの理由があるとしても、支払うツケが殺人であるならば、あまりにも高過ぎる。レアル・マドリードが“ウルトラス・スル”、バルセロナが“ボイショス・ノイス”をスタジアムから追放した動きに、他クラブも続いていくべきだったのである。

 アトレティコが“フレンテ・アトレティコ”を追放したように、今回の事件はスペインサッカーに然るべき道を歩ませるきっかけとなるはずだ。テバスは「ウルトラスの関係を終わらせる」と明言し、スペイン教育文化スポーツ省・スポーツ上級審議会(CSD)とともにスタジアム内でのウルトラスの活動を禁じる方針を発表。暴力のほか、レイシズム、外国人排斥などの動きを見せた区画は閉鎖され、クラブがウルトラスと協力関係を築いた場合には勝ち点剥奪や降格処分の対象となる。またウルトラスのいるスタジアムのほか、レアルの本拠地サンティアゴ・ベルナベウでもいまだ行われるなど、ウルトラス文化に端を発する侮辱や差別的コールなどは審判が報告義務を負い、こちらも処分の対象に。LFPはさらに、今回のような事件を未然に防ぐため、同組織に警備組織の人間を据えること、警察と情報を共有する部門を創設することを確約している。

 ウルトラス文化が根付いて30年以上が経過しており、それを引っこ抜くことは簡単ではない。が、スペインサッカーは起こってはならなかった悲劇から、歴史の転換点を迎えることになる。ただ今回の事件からウルトラス追放までのプロセスにおいて、必要のない我慢をするのは、純粋にサッカーを楽しむ人々にほかならない。

 事件直後のカルデロン。デポルティボの応援だけを目的としていたアウェースタンドの人々は、過去に9回の逮捕歴があった“ジミー”の重体という報道にうなだれ、“フレンテ・アトレティコ”が陣取る南スタンドに向けて「人殺し」とコールした。すると一人のアトレティコファンが、警備員で遮られるアウェースタンドに赤白のマフラーを投げ入れ、気持ちを受け止めたデポルティボファンが青白のマフラーを投げ返している。試合どころではなかったカルデロンで起こった温かな交感に、周囲からは称賛の拍手が送られた。

 スペインで、サッカーが暴力という汚名を着せられた日にも、このスポーツが体現すべき精神がそこには存在していた。彼らを冒涜するような行為は、やはり、許されないものである。(江間慎一郎=マドリード通信員)

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