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【コラム】海外通信員

英雄マラドーナ

[ 2014年6月29日 05:30 ]

イラン戦前半、席を離れるアルゼンチンの英雄マラドーナ(中央)
Photo By AP

 「ムファが帰ったおかげで勝った!」

 アルゼンチンサッカー協会のフリオ・グロンドーナ会長は、後半ロスタイムに決まったリオネル・メッシのスーパーゴールでイランに勝利をおさめたあと、大きな声でそう言い放った。

 「ムファはもう2度と来るな!」

 そして、会長の息子でU―20代表の監督を務めるウンベルト・グロンドーナも、父親の歓喜の叫びをバックアップするかのように、ツイッターでそのように呟いた。

 ムファ(mufa)とは、辞書には載っていないスペイン語の俗語で、「不運をもたらす者」、つまり疫病神を意味する。グロンドーナ親子は、メッシが痛快なゴールをマークする数分前にスタンドを去ったディエゴ・マラドーナのことをムファと呼んだのだ。

 酷いことを言うものだ、と思ったが、同時に冷静になって考えてみた。確かにマラドーナがベンチにいた前回の南アフリカ大会では、メッシは無得点に終わっている。あの大会後、マラドーナはアルゼンチン代表の試合をずっと見ていなかった。メッシはその間、ゴールを量産し、代表歴代得点ランキングの2位につけている。

 初戦のボスニア・ヘルツェゴビナ戦では、スタジアムまで行ったものの、入場を拒否されたマラドーナ。今大会の期間中、ベネズエラのテレビ局テレスールのW杯特別番組でパーソナリティを務めており、試合にも解説者として出向いたが、「スタジアム入場が可能なIDパスを持っていなかった」という理由で入れなかった。メッシはこの日、決勝弾をマークしている。

 そしてイラン戦では、会場となったベロオリゾンテに住むフアン・パブロ・ソリン(元アルゼンチン代表選手)の計らいでスタジアムに入場することができ、マラドーナにとって4年ぶりの観戦となったが、なかなか得点チャンスが作れず、マラドーナが去った途端にメッシの左足から待望のゴールが生まれた。まるでマラドーナが見ている前では、メッシはゴールを決められないようになっているかのようだ。

 もしかしたら、本当にムファなのかもしれない・・・と思いかけ、やや滑稽にも思え、ネットでアルゼンチン国内のメディアとファンの反応を見てみると、誰もがグロンドーナ親子に対して本気で憤慨していた。一緒になって「マラドーナ=ムファ」などとふざけているファンはおらず、メディアはグロンドーナ親子に対して一斉に厳しい意見を掲載したのだ。

 マラドーナはやはり、アルゼンチン国民にとっての英雄だった。ドラッグで堕ちても、女性問題で騒がれても、暴言を叩いてメディアに歯向かっても、28年前にアルゼンチンのサッカーを世界の最高峰に導いた男への敬意は健在だった。

 「86年W杯の優勝のおかげで現在の地位を築いた者が一体何を言うのか」。現在はFIFAの副会長も勤めるグロンドーナが、86年の優勝を機に権力を増していったことは事実。誰よりもサッカーを愛し、サッカーからも愛され、アルゼンチンという国を世界に知らしめたマラドーナを「ムファ」などと呼んではならないのだ。グロンドーナは、越えてはならない一線を越えてしまった。

 今からちょうど10年前、マラドーナが危篤状態になってブエノスアイレス市内の病院に入院していた時、病院の建物の前に回復を願う大量のメッセージが貼られ、花やキャンドルが絶え間なく置かれていたことを思い出す。普段はサッカーに興味がなかったり、マラドーナの言動に呆れている人たちも、祈りを捧げるために病院の前まで出向き、十字を切っていた。あの時、改めてマラドーナに対するアルゼンチン人の敬意を思い知らされたが、今回のムファの一件でも全く同じことを感じた。

 当のマラドーナは、ムファ呼ばわりされた日の夜、自身の番組でグロンドーナ会長に対してメッセージを送った。「惨めな愚か者め。あのゴールはメッシの才能のおかげで生まれたのであって、俺が帰ったからじゃあない。俺が身に着けているものは全て自分で働いて勝ち得たもの。お前が持っているものは全部FIFAの金のおかげじゃないか
と言ったあと、中指を立てて厳しい顔で睨みつけた。

 英雄マラドーナの、権力者を恐れない堂々たる反撃に、私も思わず拍手を送った。(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)

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