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【コラム】海外通信員

震災から3年 デルピエロ「これからもずっと忘れない」

[ 2014年3月15日 05:30 ]

2011年に行われたチャリティー事業。スペシャルTシャツ(1枚15ユーロ)をウェブサイトを通じて販売し、全売上額を寄付するというキャンペーン
Photo By 提供写真

 2011年3月11日、イタリア現地時間の8時ごろだったか、一本の電話で目が覚めた。メッシーナに柳沢や小笠原が所属していた時代から懇意にしていた、友人の地元記者からだ。「実家に連絡は取れたか?大丈夫か?」「…何のこと?」「日本で地震があったんだよ。マグニチュードは9だって言ってるぞ」。東京の実家と連絡が取れたのは、それから6時間後のことだった。

 いろいろなことがあった。当時カターニアに所属していた森本貴幸(現ジェフユナイテッド千葉)のもとにも、家族の安否を気遣う問い合わせが地元ファンからも殺到したのだろう。「震源からとてもはなれたところに住んでいるので皆元気でした」とHP上で報告しつつ、「自分の国に起こったことを見て、また多くの人命が失われたことに心を痛めている。皆さんに心からお見舞いを申し上げたい」というメッセージを掲げた。

 インテルに移籍して間もない長友佑都は、直後のCLバイエルン・ミュンヘン戦で日本国旗にメッセージを描き、試合後に掲げる。「どんなに離れていても心は一つ。一人じゃない。みんながいる!みんなで乗り越えよう! 」。その後、チャリティーマッチで帰国する際に「試合をしに行くというよりも、被災者のために帰るので」と神妙な顔つきで語っていた。当時監督を務めていたレオナルドは、以前鹿島でプレーしている。「昔の友達やチームメートと連絡を取ろうとしたが全く電話が繋がらなくて心配した。被害が最も大きかった仙台にも自分の知っている選手がいた。ようやく自分の友達の一人と話をして『大丈夫だから』ということをきいたが、『震災対策は日頃徹底していても、これだけの被害を受けるとは思わなかった』と話していたよ」

 3年後に本田圭佑を獲得することになるミランも、公式HP上でメッセージを掲げた。「ミランに関わる全ての人々は、今回日本を襲った残酷な天災のニュースに注意深く耳を傾けている。ミランは過去日本で6回のトヨタカップ(現クラブW杯)決勝に進んだ。我々は日本に連帯する。彼らには尊敬と助けがあってしかるべきだ」その一方、実家が震災に見舞われて帰国を余儀なくされた日本人もイタリアには少なからず発生。その中には日本人選手が所属するクラブの関係者として密接に働かれていた方もいて、震災の影響はいやおうなく押し寄せて来ることを思い知った。

 そんなさなかの話だった。「デルピエロがチャリティー事業を発足させる」。トリノへと向かい、記者会見を取材した。「個人的に日本には結びつきが深い。きょう(3月11日)起こったことはとてもショックだった。今も苦しんでいる方々の近くにいたい」とメッセージを掲げた彼は、イタリアの中でも迅速に動いた者の一人だった。プロジェクト名は『ALE10FRIENDSFORJAPAN』。デルピエロの監修により、白地に日本とイタリアの国旗が中央にデザインされ、その上に漢字で「友」と描かれたスペシャルTシャツ(1枚15ユーロ)をウェブサイトを通じて販売し、全売上額を寄付するというキャンペーンだが、これはイタリアのサッカー界に瞬く間に広がり、セリエAではシーズン終了まで、ほとんどの試合の入場行進にこのシャツが着られていた。結局この事業を通し、6カ月間で約3000万円ほどのチャリティー収入が得られ、全額が日本赤十字社に寄付された。

 過去の事実の羅列になってしまったが、今なお復興活動が現在進行形であることを覚えるためにも、当時海外でサッカーに関わる人々が震災に寄せて何を思い、どういうアクションを取ってくれたのかを記しておきたくなった。デルピエロも自身の公式HP(http://alessandrodelpiero.com)で、震災を忘れず黙とうを促すメッセージを全世界のファンに向け発信している。

 「少しの間でも手を休め、想う時間を持とうではないか。これからもずっと忘れないために、そして復興のために今なお働き続ける人々が、孤独であると感じることがないように」

 震災で亡くなられた方々へ哀悼の意を申し上げるとともに、今もなお復興へ尽力されている被災地の皆様へ、心からお見舞い申し上げます。(神尾光臣=イタリア通信員)

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