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【コラム】海外通信員

クラッキ(スーパープレーヤー)が戻ってきた! ロナウジーニョ擁するアトレチコ・ミネイロが悲願のリベルタドーレス杯優勝

[ 2013年8月3日 06:00 ]

リベルタドーレス杯優勝に導いたアトレチコ・ミネイロのMFロナウジーニョ
Photo By AP

 またしてもブラジルの名門クラブがリベルタドーレス杯(正式名コッパ・ブリジストン・リベルタドーレス)を制した。新たにチャンピオンに名乗りを上げたのは、ミナス・ジェライス州の首都ベロ・オリゾンテに本拠を置くアトレチコ・ミネイロ。1908年創立のアトレチコは105年の年に南米王者の称号をついに手に入れた。

 もちろん簡単な戦いではなかった。ベスト16では、同じブラジルの強豪サンパウロFCを打ち負かし、準々決勝ではメキシコのティグアナを倒し、迎えた準決勝の相手は、強豪ボカを破って勝ち進んできたニューウェルス・オールドボーイ。

 なかなかゴールを割ることができず、敵地で2-0の敗戦。ホームで2点差以上取らなければ敗退という厳しい状況に追い込まれたにもかかわらず2―0で勝ち、PK戦に持ち込み勝利を手にした。

 このまま波に乗るかと思いきや、パラグアイのオリンピア相手の決勝戦でも同じことが起こった。敵地での1戦目でまさかの2-0の完敗。後がない状況になったが、ミナス・ジェライス人の魂が詰まった新ミネイロン・スタジアム(コンフェデ杯のため、準決勝までは使用できなかった)での決戦で、またしても奇跡の2-0でPK戦に望みをつなげた。オリンピア優勝まで残り数分のことだった。後半41分、レオ・シウヴァのヘディングしたボールがボール右隅に入った瞬間、ミネイロンは歓声に包まれた。PK戦を4-3で制し、ついに悲願の優勝を手にした!

 アトレチコ・ミネイロにとって悲願であったのは、同市内の永遠のライバルであるクルゼイロが過去2回リベルタドーレス杯優勝しているという事実が大きかった。ライバルのクラブに馬鹿にされることは最大の屈辱だったが、ついにクルゼイロサポーターたちに、自分たちもチャンピオンだと大手を振れるようになったのだ。

 得点王にはコンフェデ杯でセレソンの一員としても活躍したFWジョー(6点)。続いてヂエゴ・タルデリ、ロナウジーニョ、ベルナルジ(コンフェデ杯出場)とアトレチコのスターが揃ってランキングの上位に入った。

 ブラジルのクラブが4年連続優勝をして、ブラジルサッカーのポテンシャルを見せ付けたことにもなった。スペインならバルセロナとレアル・マドリッドの2強が他の追随を許さないが、ブラジルは2強どころではない。強豪州には2強以上が存在しているのだから。

 サンパウロ州にはコリンチャンス、サンパウロFC、パルメイラス、サントスのビッグ4。リオ・デ・ジャネイロ州にはフラメンゴ、フルミネンセ、ボタフォゴ、ヴァスコのビッグ4。リオ・グランデ・ド・スール州にはグレミオとインテルナシオナルのビッグ2。そして、ミナス・ジェライス州にはクルゼイロとアトレチコ・ミネイロのビッグ2。この中で、リベルタドーレス杯優勝していないのは、ボタフォゴとフルミネンセのみ。

 これほどの強豪クラブがひしめく中、トップに立つことはそうそう簡単なことではない。リベルタドーレス杯もブラジルのライバルを倒さなければ優勝には手が届かないのだ。

 アトレチコ・ミネイロは日本ではあまり知られていないクラブだが、ブラジルで重要な意味を持つクラブである。なぜなら、アトレチコは、71年に始まったブラジル全国選手権(カンペオナート・ブラジルレイロ)の初代チャンピオンなのだ。

 創立1908年、105周年を迎えたアトレチコ・ミネイロは白黒のユニフォームで、ニックネームはガロ=にわとり、マスコットもにわとり。同市内のクルゼイロがイタリア系移民の社交クラブとして生まれたのに対して、アトレチコは誰でも受け入れる門戸の広い大衆のクラブだった。現在、ブラジルで10番目に多くのサポーターを持つ人気クラブで、熱狂的なアトレチコサポーターはマッサと呼ばれ、スタジアムの観客動員数はブラジル有数と言われる。

 現鹿島監督のトニーニョ・セレーゾがプレーしたクラブでもあり、ブラジルきっての名将と言われる82年W杯監督のテレ・サンターナが最も長く監督を務めた。

 その伝統から一目置かれるクラブでありながらも、ナショナルタイトルも少なく、リベルタドーレス杯に優勝したことがないことから国際的な知名度は少なかった。そんなアトレチコに昨年6月、ロナウジーニョがシーズン半ばにして移籍してきた。ロナウジーニョは、ミランからブラジルに帰国してフラメンゴに移籍するも、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴとの確執や、クラブの経営状況の悪化でサラリーが遅れるなどを理由に芳しい成績を収めないまま、クラブを後にした。この時点で、ロナウジーニョはもう終わったと多くの人が思ったのは間違いない。アトレチコ・ミネイロでロナウジーニョがどこまでできるのか、クエスチョンの方が多かっただろう。

 そのことについてロナウジーニョは悔しい思いをしていたことを優勝後コメントしている。

 「優勝するためにブラジルに戻ってきた。(所属するチームが不振で)『ジョーもロビーニョも、もう終わった選手だ』なんて言われたけど、チームがうまくいかないときは選手のせいばかりじゃないってことだ」

 また、フェイスブックには「僕の人生で最高に幸せな夜になった!このタイトルは、僕を信じて、支えてくれた人たち、仲間、家族、アトレチコのフロント、監督始めスタッフ全員に捧げる。と同時に僕をもう終わった選手だと批判した人たちへも捧げるよ。だって、それが返って僕に大きな意欲をくれたんだからね」と書き記した。

 ロナウジーニョ復活!とはいえ、来年のW杯に呼ばれるかどうかだが、状況はかなり厳しい。スコラーリ監督は、2002年の時も世論の大きな声にも関わらずロマーリオを呼ばなかった。理由は、個人の力よりもチームの団結力を選んだからだ。ロナウジーニョについても、呼ばれる可能性はゼロではないが、少ないだろう。

 それでも、ロビーニョはまだまだ自分に価値があることを証明して見せたのは事実だし、それ以上にチームに大きな貢献をした。アトレチコ・ミネイロは国内のクラブから唯一3人の選手をセレソンに送り込んだのだ。FWのベルナルジとジョー、DFのヘーヴェル。アトレチコのリベルタドーレス杯活躍なくして、3人がセレソンに呼ばれることはなかっただろう。そして、若干20歳のベルナルジは、欧州移籍がほぼ決まりそうだ。

 年末、ロナウジーニョはもう一つのミッションをするためモロッコに向かう。グアルディオーラ監督との再会だ。ロナウジーニョは2008年、バルサでグアルディオーラにクビを突きつけられミランに渡ったが、そこからは鳴かず飛ばずになっていった。一方、グアルディオーラが率いたバルサはメッシ、イエニスタ、シャヴィを中心に最強軍団になりタイトルを総なめ。判断は正しかったと明らかに軍配はグアルディオーラに上がった。

 ロナウジーニョ自身は、「バルサの退団はグアルディオーラ監督とは関係ない。すばらしい監督だと思う。でも、僕にとってのベストな監督はライカールトだ」と言う。

 さて、今回バイエルンとの対決が実現して、ロナウジーニョ復活をグアルディオーラに見せつけることができるか。年末を楽しみにしよう。(大野美夏=サンパウロ通信員)

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