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【コラム】海外通信員

スペインの真夏の正夢と悪夢

[ 2012年8月17日 06:00 ]

オーバーエージでスペイン代表として五輪に参加したMFマタだったが…
Photo By AP

 今夏は日本も猛暑のようだが、スペインも6月末から断続的に暑い日が続いている。

 そんな12年の暑い夏、7月1日にスペイン代表はユーロ2012ポーランド・ウクライナ大会の決勝で、実に公式戦では1920アントワープ五輪以来、92年ぶりに、イタリアに4-0で快勝し、初の2大会連続優勝で通算3回目のユーロ優勝を果たした。そのうえ、前人未到のユーロ2008~2010W杯~ユーロ2012の主要国際大会初の3連覇の快挙を成しとげた。

 ここ数年、厳しい経済不況に喘ぐスペインでは、少しでもスペイン国民に夢と希望を与えるために、今回のユーロ2012の全試合をスペイン民放のメディアセットが地上波3局を使って生中継したが、スペインA代表の愛称の“La Roja”(ラ・ロハ=赤)のごとく、この快挙にスペイン中が真っ赤に熱く燃えた。スペイン代表のスローガンの一つは“No hay dos sin tres!”(=2度あることは3度ある!)だったが、主要国際大会初の3連覇はサッカー史に残る素晴らしい真夏の夜の正夢となった。

 さらに7月14日にU-19スペイン女子代表が U-19ユーロ決勝でスウェーデンに延長戦で1-0と敗れて惜しくも準優勝に甘んじたものの、7月15日にはU-19スペイン代表が、U-19ユーロ決勝でギリシャを1-0で破って2大会連続で通算6度目の優勝を果たし、A代表以下のカテゴリーでも活躍を見せた。

 この勢いで7月26日から始まったロンドン五輪サッカーで、“La Rojita”(=ラ・ロヒータ=小さな赤=スペインA代表の弟分の意味)ことU-23スペイン五輪代表に、五輪サッカーで初優勝を飾った92バルセロナ五輪以来、20年ぶり2度目の優勝の期待が高まっていた。しかし、こちらは3試合1分け2敗、無得点2失点の不振であっけなく1次リーグ敗退となる真夏の夜の悪夢に終わった。

 08~09シーズンから就任したルイス・ミジャ監督の下、U-21スペイン代表は、昨年のU-21ユーロ・デンマーク大会で優勝し、00シドニー五輪以来、12年ぶりにロンドン五輪出場権を獲得した選手を中心に、先のユーロ2012優勝メンバーのマタ、ハビ・マルティネス、ジョルディ・アルバの3人を加えたU-23スペイン五輪代表は、ブラジルとともに優勝候補の一角に挙がっていた。

 ところが、グループリーグ第1戦の日本戦で日本の激しいプレスとスピードのあるカウンター攻撃にかく乱され、CKから失点すると、ナーバスになったCBイニィゴ・マルティネスが1発退場処分となって結局、1-0で敗れた。続く第2戦のホンジュラス戦では24本のシュートを放ちながらも、そのうち3本がゴールバーとポストに当たり、2つのPKを主審が見逃すなど運もなく1-0で敗れ、早々に2連敗を喫して1次リーグ敗退が決まってしまった。少なくとも誇りを賭けて最終第3戦のモロッコ戦に臨んだはずだったが、またしても2本のシュートがゴールバーとポストに当たる不運に遭い、最後まで調子に乗り切れず、実力を発揮することなく不完全燃焼で終わってしまったのは残念だった。

 「1次リーグで敗退してしまった全ての責任は私にある。われわれにはゴールだけが足りなかった。われわれは昨年のU-21ユーロで優勝した時と同じような準備をしてきたが、ロンドン五輪では力を出し切れなかった。もし良い結果がついてきたならば、チームは調子を上げていただろう。このチームはメダルを争うだけの力はあっただけに残念だ」とコメントしたルイス・ミジャ監督は、8月末に切れる契約をスペインサッカー協会が契約更新をしないと8月7日に発表、解任となった。結果を出せずに敗れた場合の監督はいつも非情な結末を迎えるものだ。

 今回のU-23スペイン五輪代表は決して意欲が足りなかったわけではない。むしろ意欲がありすぎて空回りした感も強い。U-23スペイン五輪代表の選手は、一生に一度の経験になるかもしれないロンドン五輪選手村を訪問し、開幕式に参加することをロンドン五輪が始まる前から熱望していたことでもわかる。

 スペインA代表の成功のお陰でU-23スペイン五輪代表にもロンドン五輪で優勝することが半ば義務付けられたことがプレッシャーとなったところももあるが、ロンドン五輪最終メンバー18人を決める際に、MFセルヒオ・カナレス、FWイサック・クエンカを始め、チームの攻撃の中心のMFティアゴ等がケガで外れる不運に始まり、最終メンバーに入ったDFサン・ホセが水ぼうそうで外れた。さらにFWムニアインがロンドン五輪前の親善試合セネガル戦で痛めた右足大腿部前部直筋に小さな筋肉裂傷を負ってグループリーグ第1戦日本戦い間に合わず、中盤のゲームメーカの一人MFアンデル・エレーラがシーズン中から患っていた恥骨炎を抱えたままの状態で90分起用できなかったように、チームはフィジカル的にいまひとつで、いつものパスワークからゴールを決める粘り強さに欠け、やや準備不足の感が否めなかったのも事実だ。特にティアゴは、A代表のイニエスタのごとく、優れたボールテクニックと個性的なプレーで苦境を打開する能力があっただけに、彼の欠場が響いていた。

 最終的にロンドン五輪は、メキシコが大方の予想に反して優勝候補のネイマール率いるブラジルを2-1で破って初優勝を飾った。サッカー王国ブラジルは84ロサンゼルス五輪、88ソウル五輪に続いて、五輪サッカー決勝で3回敗れて悲願の初優勝を逃したことになる。メキシコは1次リーグ第1戦の韓国戦で0-0と引き分けた後、じわじわと調子を上げ、自信をつけて五輪を制した。

 サッカーの勝敗は時に説明がつかず、不公平なものであるが、五輪のように日程の詰まった大会では、いかに波に乗って戦い、運も味方に引き寄せるだけの力が必要になるものだ。スペインに勝った日本はその好調な波に乗ったかに見えたが、ここ一番の準決勝メキシコ戦、3位決定戦の韓国戦にいずれもミスを突かれて最後に競り負けたのは残念だった。

 しかし「サッカーはミス・欠点のゲームで、それゆえ、常に改善することができる」と偉大なサッカー選手で監督のヨハン・クライフ氏がいつも言っているように、相手の一つのミスからゴールチャンスが生まれ、味方の一つのミスから失点して敗れても、次は相手のミスを突き、味方のミスを無くして勝利につなげる希望と可能性がいつも残されている。

 今回のロンドン五輪サッカーでU-23スペイン五輪代表は悪夢に終わったが、選手達が良くも悪くもこの経験を糧にして成長し、将来、素晴らしい活躍を見せてくれることを期待したい。(小田郁子=バルセロナ通信員)

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