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【コラム】海外通信員

アルゼンチン不在の五輪サッカーに思う

[ 2012年8月6日 06:00 ]

北京五輪準決勝ブラジル戦で2ゴールを決めたアルゼンチン代表FWアグエロ(マンチェスターC)
Photo By スポニチ

 「ママ、ところでアルゼンチンの試合はいつなの?」

 ロンドン五輪でスペイン相手にU-23日本代表が貴重な勝利をおさめた興奮から冷める間もなく、長女がそんな質問を振ってきた。ちなみに長女は18歳。現実の厳しさを知らない幼児ではない。

 予選落ちしたから出場しないのだと説明すると、目を丸くして、今度はこう聞いてきた。

 「でもアテネでも北京でも優勝したじゃないの!優勝した国は予選なんかしなくてもいいんじゃなかったの?」

 サッカー大国アルゼンチンといえど、長女と同じように、事情をよくわかっていない人は意外と多い。その証拠に、五輪情報を伝えるテレビ番組でも何度か「アルゼンチンのサッカーは予選で負けたので出場していません」と注釈している。

 そう、アテネではビエルサ監督の超アグレッシヴサッカーで圧倒的な強さを見せて優勝し、北京ではメッシを擁したチームが準決勝で宿敵ブラジルに3-0と圧勝するという最高の戦いで優勝を飾った。それなのに、世界中の国が参加している大会に出場していないとは何事だ。3位に甘んじて五輪行きを逃した予選大会(しかも優勝はブラジル、得点王はネイマール)を思い出し、結果を出していたペケルマン一味との契約を切り、86年ワールドカップ優勝時のメンバーにユースを任せているAFA(アルゼンチンサッカー協会)に対する疑念が改めてこみ上げて来る。

 五輪サッカーに対する考え方は大陸によって大きく異なるが、南米では「代表レベルの非常に重要な大会」として扱われ、アルゼンチンもその例外ではない。欧州選手権を観る習慣は全くなくても、五輪サッカーは必ず観る。クラブだって、自分のところの選手が招集されたら貸し出し拒否などしない。

 そもそもアルゼンチンでは、FIFAの規約に基づいてどこまでが義務なのかを確認するまでもなく、「セレクシオン(代表チーム)が最優先されて当然」という考え方が根付いている。ユース世代の招集で文句を言う監督はたまにいるが、その無意味さはPKがとられたあと主審の判定を覆そうとするようなもので、効果は全くない。

 五輪とは無関係だが、8月1日に開催されたスルガ銀行チャンピオン杯に出場したチリのウニベルシダ・デ・チレが、時期を同じくしてユース代表の欧州遠征に3人の選手を貸し出さねばならず、クラブと協会の間に摩擦が生じて問題となった。それくらい、南米では代表が絶対的な権力を持っている。なぜなら、代表はクラブに大きな恩恵をもたらすからだ。

 ユースも含め、代表でプレーした経歴があるだけで、その選手の市場価値は上がる。南米のクラブにとって、選手の移籍によって得られる収入は重要な財源だ。言葉は悪いかもしれないが、国内でプレーする選手たちにとって、代表は自分を見せるための恰好のショーウィンドーなのである。

 また、海外でプレーする南米人選手の場合、母国の家族やファンのためにプレーしたいという思いも人一倍強い。北京五輪への出場を巡って、貸し出しを拒むバルセロナとAFAの間で板ばさみとなったメッシが、「自分は最初から代表合流を希望していた」という意思を明らかにし、最終的にはFIFAからのバックアップを受けて五輪に参加したことは記憶に新しい。

 アルゼンチンが出場していない五輪サッカーで、私が応援しているのはもちろんU-23日本代表だ。関塚監督のチームの快進撃には誇らしく思うが、もしも日本国内に「五輪サッカーは欧州では過小評価されている大会なのに」という冷めた見方をする人がいたら、はっきりと言っておきたい。これは、日本が世界に実力をアピールする最高のチャンスなのだということを。そうでなければ、アルゼンチンの知り合いの記者たちから私のところに「どうしてホンダやカガワは出ていないのか」という質問が立て続けに舞い込むことなどなかったのだから。(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)

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