×

【コラム】海外通信員

地獄のどん底→希望と再建→台なし→やり直し 黒い染みと灰色の染み抱え、デシャン体制がスタート

[ 2012年7月12日 06:00 ]

フランス代表監督に就任したデシャン氏(左)と握手するフランスサッカー連盟のルグラエット会長
Photo By AP

 「選手たちにはもうミスする権利はない」

 フランス・フットボール連盟本部で7月9日夕、ディディエ・デシャン新代表監督はこう宣告した。

 「(フットボールの)クオリティーとタレント力の他に、2つの重要面がある。グループの概念と、よい精神状態だ。個人的目標をグループの前に置く者は、…(顔をしかめて首を横に振り)もう無理だ。グループを危機に陥れる者については、代表監督として招集するしないを決めてゆく」

 フランスという国は、本当に飽きない国である。

 2010年ワールドカップ南アフリカ大会では、ニコラ・アネルカのレイモン・ドメネク侮辱事件を機に、選手たちが前代未聞の「ストライキ」を起こし、地獄のどん底に落ちてしまった。これが“グラウンド・ゼロ”。

 次いで98年ワールドチャンピオンのローラン・ブランが爽やかに出現し、瓦礫の野の上に2年がかりでチームを再建、23試合連続無敗記録を打ち立ててユーロ2012予選も首位で突破、大いに希望の風が吹いた。これで“2歩前進”。

 ところがユーロ2012本大会が始まるや、今度は2年前の南アフリカにいなかった一握りの選手がまたしても侮辱事件を起こし、全てを台なしに。ブランは準々決勝進出というスポーツ目標を達成したものの、退任を選択し、「信じられない台なし」(フランス・フットボール誌)になった。これでまた“1歩後退”。

 そして数日間のサスペンスを経て、今度は98年ワールドチャンピオンチームのキャプテン、「DD(デデ)」ことデシャンがついに登場し、“1からやり直し”。

 こうして代表監督として初の記者会見に臨んだデシャンは、親友ブランとそのスタッフの2年間の努力に心から労いの言葉を捧げた後、質疑応答で冒頭の句を宣言したのだった。

 なにしろ2年前のアネルカの文句が、「オカマでも掘ってもらえ、薄汚ねえ売女の息子め!」。今回のサミア・ナスリの文句も、対象はジャーナリストだったものの、「薄汚ねえ」が取れただけでまったく同じ。ジャーナリストの方も、「とっとと失せろ」とやり返したのだから、国民は「もういい加減にしろ!」、と嘔吐気味である。

 もっとも2007年には国家元首たるニコラ・サルコジ大統領が、テレビの前で一農民に、「とっとと失せろ、薄らバカめ!」と放言していたのだから、模範も何もあったものではない。その大統領が敗北して去って行ったのが、せめてもの“良識の勝利”だった。

 そんなわけでフランスは、またしてもディシプリン委員会の4選手処罰(7月27日)を待つことになった。サミア・ナスリ(再三ジャーナリストを侮辱)、アテム・ベン=アルファ(ハーフタイムに携帯で遊んでいたのを注意されて監督に反抗)、ジェレミー・メネーズ(守備努力を求めたキャプテンを侮辱し、審判にも反抗)、ヤン・エムヴィラ(ベンチに下がる際にあいさつせず)だ。

 このうちエムヴィラは、交代に思わずムッとして監督と握手しなかっただけで、直ちに反省謝罪もしており、厳しい処分はいかがかと思うが、残り3人については真剣に検討する必要があるだろう。プレーでも態度でも個人的活躍や個人的恨みつらみを優先し、グループ精神を破壊したからであり、何よりも2年前の教訓を完全無視した点が許容し難いからである。何も学ぶ気がないなら、プレーする必要もない。歴史から学ばない者はろくなものをもたらさないからだ。

 よってデシャンは、ブルーのユニホームについた黒い染みを、直ちに消さねばならないだろう。ディシプリン委員会の処罰もいいが、「最もいい委員会は監督であり、監督の招集するしないの選択なのだ」(リザラズ)。でなければ、国民の愛情は戻って来ない気がする。

 だが今回の監督交代劇には、実は、灰色の染みもついている。ルグラエット連盟会長のブランへの対応が、奇妙だったからだ。

 そもそもブランは2年前、当時の会長から4年契約を提案されたものの、謙虚に「様子を見たい」と申し出て、あえて2年契約で合意した。その際の約束は、「ユーロ予選を突破して本大会出場を決めたら、そのときは契約をさらに2年間更新する」というものだった。

 ところが1年後に就任したルグラエット会長は、ブランが公約を果たしたにもかかわらず、「すぐに更新はしない。本大会で準々決勝に進出し、美しいプレーを実現できたら更新する」と態度を変更。

 ブランはしぶしぶこれも呑んで、堂々準々決勝進出を果たしたのだが、それでもなお「美しいプレーは実現できなかった」「スタッフが多すぎる」などの批判を受けたのだった。ブランが退任を選択したのは、会長のこの態度のせいだった。

 このためルグラエット会長にも、“自分の権威”を高めたい一心で監督を替えたかったのではないか、との疑惑がたなびいている。秋に予定される会長選挙で再選されるよう、一部選手の悪態で黒い染みがついたブランなど、よくても悪くても斬ってしまいたかったのではないか、という疑惑だ。それどころか、ブランが出ていくよう巧妙に仕向けた“臭い”さえ漂っており、「ルグラエットは2008年には失敗したドメネクを続投させた陰の張本人となり、2012年には前進をつくったブランを追い出した会長になった」とみるジャーナリストも多い。はて、会長も個人的利益を代表利益の前に置いていないだろうか?

 案の定、9日の記者会見では、ルグラエット会長が先頭に立ち、デシャンを後ろに従えて会場入り、二人並んで会見した。これまでは主に監督一人で就任会見してきたのに、である。しかも“自分が選んだ”デシャンには、「2年契約で、予選を突破したら契約更新」という条件を与えている。同じ条件を与えられていたブランには、約束を反故にしたのに…。このためジャーナリストからはルグラエット会長に、「ブランはもっと高い目標を課され、それを実現したのに去っていった。それなのにデシャンには低い目標。これはどういうことか」と鋭い質問も飛んだ。

 この灰色の染みは、次第に消えて忘れられるのか、それともしつこく残っていつの日か再浮上するか。案外、黒い染みの行方とともに、注目点になるかもしれない。

デシャンの代表初指揮は8月15日。9月には直ちにワールドカップ・ブラジル大会出場をかけた欧州予選が始まる。そして予選同グループには、世界と欧州に君臨し続けるスペイン。最初からプレーオフに回る予想だ。いやはや、ブラジルへの道は、遠く、険しい。(結城 麻里=パリ通信員)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る