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【コラム】海外通信員

G大阪ヘッドコーチになった呂比須へのエール

[ 2012年2月16日 06:00 ]

G大阪のセホーン監督(左)と呂比須ヘッド
Photo By スポニチ

 元日本代表選手で、引退後ブラジルに戻り、指導者の道を歩んでいた呂比須ワグナーが、ガンバ大阪のコーチとして再び日本で挑戦の日々を送っている。心から呂比須にエールを送りたい。

 ブラジルに戻ってからも常に「僕は日本が大好きなんだ。いつか日本にもう一度戻りたい」と彼の心には、もう一つの故郷日本があった。

 02年、呂比須が足のケガで現役を引退してから、2人の息子が、父のもう一つの国、ブラジルで暮らしてみたいという夢を叶えるために日本を離れてブラジルに帰ってきた。当初は、代理人になるつもりで、大学でマネージメント学を学ぶなどしていたのだが、しばらくして会ったとき、方向転換していた。

 「やはり自分は現場にいたい」と自分で汗を流すことを選んでいたのだ。実に、熱血漢な呂比須らしい選択だった。

 05年からサンパウロ州パウリスタFCでヴァギネール・マンシーニ監督のアシスタントコーチとして指導者の道を歩み始めてから6年目で、ついに念願かなってJリーグの監督として日本に戻ると思ったのだが、ガンバ大阪からは、監督としてオファーをされたにもかかわらずライセンスの問題で承認されず、ヘッドコーチという役割になった。

 新聞の記事によれば、

 『呂比須氏は05年にブラジルで指導者のキャリアをスタート。だがJリーグの監督就任基準であるS級ライセンスとブラジルの指導者資格は互換性がなく、両者に明確な規約もない。故郷ブラジルでもトップリーグでの指揮経験がないため、日本サッカー協会の承認が下りなかった』

 ということだが、ブラジルのリーグは、他国から見るとリーグが一つでないためカテゴリーの一致が難しい。

 それは、歴史と国土の広さに起因する。19世紀末、イギリスからブラジルにサッカーが持ち込まれてサンパウロ州、リオデジャネイロ州、リオグランデドスール州、ミナスジェライス州など各地域ごとにサッカーは発展していった。ブラジルはなんといっても国土が広い。日本の約23倍なのだから。
飛行機の移動などなかった時代、数百キロ、もしくは数千キロ離れた都市間の交流は簡単ではなかった。

 州というのは、日本の県単位よりはるかに広く、例をあげればサンパウロ州だけで、大方の日本が入ってしまうほどだ。地域の独自性も強く、サッカーでも、まずは州リーグが発展していった。1902年にサンパウロ州リーグが始まったのに対して、公式の全国リーグができたのは1971年のことだ。それも、州リーグがなくなって全国リーグができたわけでも、州リーグの延長線上に全国リーグが位置づけられているわけではない。

 州リーグは、州サッカー協会が独自性を持って運営し、全国リーグは、ブラジルサッカー協会が運営する全く別の大会なのだ。州リーグで優勝したクラブが全国リーグに上がるという構図はないことを日本の方に理解していただきたい。

 1月から4月までは州リーグとブラジル全国トーナメントのコッパ・ド・ブラジルが並行して開催され、さらには南米チャンピオンズリーグのリベルタドーレス杯も2月から6月まで行われる。5月から12月まで全国リーグが戦われる。

 呂比須が監督を務めたパウリスタFCは、サンパウロ州リーグの1部だ。なんだ、地方リーグの一部に過ぎないのかというイメージは持たないで欲しい。サンパウロ州リーグは、セリエAの1部、2部、3部各20クラブ、さらにセリエB44クラブと計104のプロクラブがしのぎを削る厳しいリーグなのだから。セリエA3部でさえ1万人収容のスタジアムが要求される。日本の一県で100のプロチームが所属するなどありえないことだ。日本中のクラブを足しても無理かもしれない。もちろん、クラブのレベルはピンきりとなるが、プロには違いない。

 さらに言えば、パウリスタは、全国2部リーグに所属したこともあるし、コッパ・ド・ブラジルで優勝してブラジル王者になったことのあるクラブだ。05年、呂比須がヴァギネール・マンシーニ監督のコーチだった時、トーナメント戦であるコッパ・ド・ブラジルで全国制覇を成し遂げ、翌年の06年、パウリスタはリベルタドーレス杯に出場した。日本で、県リーグレベルのチームが、アジアチャンピオンズリーグに出たという話を聞いたことはない。ブラジルでは、全国リーグ1部に所属していないクラブにも、そういうことが起きるのだ。

 そして11年、呂比須は、サンパウロ州カップでパウリスタを見事優勝に導き、翌年のコッパ・ド・ブラジル出場権を得た。呂比須は日本で承認されたなかったことは事実だ。しかし、だからといって、パウリスタが地方の小クラブに過ぎず、そんなところの監督を数年務めたくらいでは、S級に値しないという判断は簡単にして欲しくない。

 問題は、ブラジルでCBF(ブラジルサッカー協会)認定する監督ライセンス制度ができていないことだ。本来ならば、これほどプロチームがあるのだから、ライセンス制度の導入や、養成学校の創立をすべきなのだが、そこまで手が回らないといった状況が続いたままだ。

 今回、呂比須は恩師であるジョゼ・カルロス・セホン監督の右腕としての任務をすることになった。パウリスタFCで指導者として始めた時の役職は攻撃担当ヘッドコーチだった。元FWなだけにいかにして点を取るかを常に考えたサッカーを目指す呂比須は、昨年のパウリスタを攻撃的なチームに仕立て上げた。しかも、給料が3カ月遅延という悪条件の中、選手のメンタル面をサポートしリードしてサンパウロ州カップ優勝を手に入れたのだ。技術面だけでなく、指導者としての人格も彼には備わっている。

 サムライ呂比須が、ガンバ大阪でもいろいろなアイデアを出して監督とともに強い攻撃的サッカーを作っていくことに期待したい。(大野美夏=サンパウロ通信員)

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