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【コラム】海外通信員

インテルの合宿

[ 2011年8月14日 06:00 ]

合宿で練習するインテル・ミラノの長友。※現在は右肩脱臼でリハビリ中
Photo By 共同

 7月、イタリア北部トレンティーノ州ピンツォーロで行われた、インテルの合宿を取材に行った。実は同じ場所には昨年、カターニアの第2次合宿取材の時にも立ち寄っている。カターニアはユベントスの後に来ただけあって、施設の撤収中にピッチで練習を開始する――もちろんスタンドに観客などほとんどいない――という何とも淋しいものだったが、ビッグクラブのインテルはやはり違う。練習開始の土曜日からスタンドは人でぎっしり埋め尽くされ、インテルの公式サイトによれば、11日間の合宿に集ったファンは述べ10万人だとか。そして、そのほとんどは家族連れだった。

 敷地内には、簡易式の建物ながら大きなオフィシャルショップも用意されており、土日などは長い行列ができていた。そしてキャンプではチームの合宿と並行して、子供向けのサッカースクールが数カ所に渡って開催されていた。子供はボールを蹴って遊び、そして練習ではサネッティやエトー、スナイダーやパッツィーニに熱心な声援を送る。スキーリゾートとして世界的に有名なドロミティ渓谷の一角で、沢山のロッジを抱えるピンツォーロは、ネラッズーリのユニフォーム姿の家族連れで賑わっていた。そして特筆すべきことにこの11日間、イタリアでは必ず目にする『ウルトラス』と呼ばれる過激サポーターの姿が見られなかったのだ。

 良くも悪くも熱心なイタリアの過激サポーターは、プレシーズンの時から既に臨戦モードで、普通はどの合宿にもちらほら現れるものだ。ホームタウンから国境近くの山の中まで趣き、一生懸命声援を送る熱心さは素晴らしいのだが、不甲斐ない成績を挙げる監督や移籍をほのめかした選手には執ようにブーイングを送り、時にファン同士でけんかもしてしまう。ひどいケースに至っては遠征先で無銭飲食はするは落書きはするはで、あとからクラブに苦情が来ることもあった。インテル合宿の際も、実は時同じくしてユベントスのサポーター同士がキャンプ地のバルドネッキアで小競り合いを起こし、最終的には人がナイフで刺されるという事件にまで発展した。昨年まで数年間ユベントスの合宿を受け容れていたピンツォーロの人々は、そういう輩までついて来るのを正直よく思っていなかったらしい。「ユーベの時に比べれば、ここに来るインテルファンは家族連ればかりだから、雰囲気が全然違うわ」と、バールの店員さんは語っていた。

 インテルのゴール裏にもそれなりに熱い人たちは沢山いる。2002年4月のスクーター投下や、2005年4月CLミラノダービーでの発煙筒投げ込みによる試合中断など、彼らも相当に悪質な事件を起こしてきた。そういった事件は当時の成績不振が原因と言われているが、その影には「クラブから何らか利益供与を引き出そうとした”ゆすり”があった」ともいわれている。だがモラッティ会長はこれらの事件を機に「私はスタジアムにいたほんの一部ではなく、他の8万のみなさんと立場を共にしたい」と、悪質な一団とははっきりたもとを分つ姿勢を打ち出した。利益供与をやめ、その代わりにファンが家族で集えるよう、マーケティングから練りに練る。ピンツォーロで目撃したテーマパーク的な雰囲気は、そういった努力の成果でもあるのだ。

 合宿中、サッカースクールで頑張った子供たちにはインテルの選手から表彰されるというイベントも用意されていた。あの「飛ばないヤツはミランファンだ」コールですっかり盛り上げ役として認知された長友は、エトーとともにそのイベントにかり出されていた。ステージに挙げられた子供たちが選手に質問するというコーナーもあって、質問者の小学生に「ピアーノ(ゆっくりね)」とおそるおそる長友は言う。すると彼はその通り、言葉を切りつつ本当にゆっくりと話すのだ。「え~と、日本語で~、”フォルツァ・インテル”って~、なんて~、いうの?」長友答える。「がんばれインテル!」。司会者の音頭のもと、広場に集った3000人あまりのイタリア人ファンは「がんばれインテル」と日本語で3度復唱するのだ。

 合宿中、55番のレプリカユニフォームを着た子供たちをそこそこ見かけた。ピッチの上ではサイドでタフに動き回り、プレイ以外でも明るいノリの長友はイタリア人の子供ウケもなかなか良いらしい。彼らを明日のインテルファンとして繋げて行く役割と責任を、長友もまた担っているのである。(神尾光臣=イタリア通信員)

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