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【コラム】海外通信員

巨星MAMSの登場

[ 2011年6月4日 06:00 ]

 フランスで大ヒットした映画「アメリ」に、ことわざの冒頭部分を提示して続きを言わせ、ヒロインの相手にふさわしい若者かどうか品定めする、というシーンがある。品定めしたのはヒロインの未来を案ずる年上の同僚で、知識を試したのではなく、知恵を見たのだった。人が築いてきた知恵を身につけた若者なら、人間として信頼できる、という理由である。

 フランスに頼もしい新星が出現するたびに、このシーンと日本の諺を同時に思い出す。

「若いときの苦労は…」ということわざだ。

「MAMS」こと、ママドゥー・サコ。パリ下町の、「シテ」と呼ばれる貧しい団地に生まれたサコは、道端でサッカーを始めた。家は豊かではなく、弟妹もたくさんいた。やがてサコは非凡なテクニックとフィジカルで指導員の目をひき、パリFC、次いで天下のパリSG育成センターにスカウトされる。

 ところがそれから間もなく、悲劇が襲った。一家の大黒柱だった父が、突然逝ったのである。残された母と子どもたちは、途方に暮れた。このときサコは、自分が家を支えるしかないと理解した。わずか13歳のときである。

 13歳と言えば、思春期の始まり。最も多感で、危うい季節だ。突然の不幸を消化するのは、大変だったに違いない。がけを転がり落ちてもおかしくない試練である。

 だがサコは乗り越えた。親友によると、当時のサコは、詳しくは語らなかったという。ただ、確実に何かが変化した。自分がプロになって母と弟妹たちを養うのだ、という決意が定着していったのである。サコは猛烈にがんばった。全ては一家を養うためだった。

 一家を背負ったサコは、早々と自立して、責任感を獲得、強烈なリーダーシップを身につけていった。こんなエピソードもある。

 16歳にして一人暮らしを開始したものの、トレーニング場に向かう“足”がなかった。車の免許は18歳にならないと取得できないからである。仕方なく送迎をしてもらったが、他人に頼る不自由がどうも気に入らない。そこでサコは名案を思いつく。免許なしで運転できる小型の電気自動車を購入したのである。サコはそのちんけな電気自動車でトレーニング場に通い、高級車を乗り回す先輩たちから大いにバカにされるが、意にも介さず、ルンルンと運転。最後は若いチームメイトたちも影響されて、数人が電気自動車を買うことになったという。

 そんなサコは、ユースでも常にキャプテンだった。当時を知る関係者は、「この年齢では実に珍しいが、一種の労組リーダーだったよ」と笑う。ときどきみんなの要望をまとめると、就寝時間やテレビ視聴の権利について、コーチにかけあいに行ったらしい。

 そして、サコ17歳。当時PSGを率いていたポール・ルグエン監督は、サコをトップチームに引き抜くと、いきなりキャプテンに任命した。驚くべきことにリーグアン・デビュー戦で、キャプテンマークを巻いたのである。

 それから数年後の2011年5月末。サコは今季リーグアンの「最優秀エスポワール」に選出された。「エスポワール」とは“希望”の意味で、大まかに言えば“最優秀新人賞”に当たる。マルセイユでブレイクしたアンドレ・アイユーらを押さえての受賞である。昨年の受賞者もエデン・アザールだったように、ディフェンダーでこの賞を射止めるのは非常に難しい。

 187cm、83kg。行きつけの美容院「ババクール」で整えたイキなモヒカンで、黒く輝く肌にひときわ映える乳白色のスーツを着こなしたサコは、照れながら短い礼辞を述べると、トロフィー授与者となったチームメイトの大先輩マケレレの頬に、思わずキス。会場は爽やかな笑いに包まれた。

 災害、病気事故、失業、貧困、差別…。不幸や苦難に見舞われた少年がサッカーに救われ、大浮上できたときこそ、その国のサッカーは本物の文化になったと言えるのだと私は思う。幸い苦労しなかった少年も、メンタルで2倍の努力をするようになるだろう。

 「MAMS」は、やがてフランス代表を背負うセンターバックになると見られている。リリアン・テュラムの後継者とも言われる。そういえばテュラムも、少年時代に大きな苦労をしたものだった。フィジカル、テクニック、メンタル、リーダーシップ…。全てを備えたたった21歳の巨星は、この6月初旬、フランス代表(ここまで2キャップ)に初先発する予定である。(結城麻里=パリ通信員)

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