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【コラム】海外通信員

ようこそブラジルへ!
元なでしこ監督・佐々木則夫さんと、大宮アルディージャの秋元さんがブラジル訪問

[ 2017年9月20日 12:00 ]

 JICA(国際協力機構)が推進する『なんとかしなきゃ!プロジェクト』のメンバーとして、大宮アルディージャのトータルアドバイザーである元なでしこジャパン(日本女子代表)監督の佐々木則夫さんとグローバル推進担当の秋元利幸さんが初めてブラジルを訪れた。

 「なんとかしなきゃ!プロジェクト(略:なんプロ)」とは、開発途上国の現状について知り、世界の問題を日本の、自分のこととして捉え、一人一人ができる国際協力を推進していく市民参加型プロジェクトだ。JICAは世界の各地でさまざまな支援協力をしているが、なんプロメンバーが実際に現場に行って、見て感じて話して、日本と外国との絆を日本の皆さんに伝えるという活動をしている。

 大宮アルディージャは、プロスポーツクラブ、スポーツ業界を通じて初めてJICAの国際協力キャリア総合情報サイト「PARTNER」への登録をした画期的なクラブだ。2015年には日本政府が推進するスポーツを通じた国際貢献事業「スポーツ・フォー・トゥモロー・コンソーシアム」に加入し、アジアにおける活動をしてきたが、JICAとのパートナーシップにより、世界規模での国際交流、社会貢献を通じた国際協力活動を活性化しようとしている。

 その一つが今回のブラジル訪問だった。2人にJICAがブラジルで行っているプロジェクトの訪問と日系社会と日本とのつながりを知ってもらえるようなプログラムが組まれた。

 ブラジルは世界最大の約160万人の日系社会を抱える超親日国。初の日本人移民がブラジルに到着してから既に109年が経ち、6世の日系人がいる時代だ。ブラジル社会の中に日本人、日系人は深く入り込んで重要な一部になっているが、顔や名前に日本人の面影を残している彼らは、ブラジル社会で『ジャポネス(日本人)』と呼ばれる。第2次世界大戦では、日本とブラジルが敵国になり、悲しい歴史が刻まれ、日本人移民に対する迫害もあった。しかし、それらを乗り越え、今、日本人、その子孫はブラジルにおいて一目置かれた存在として認められている。確かに90年代から日本に多くの出稼ぎ日系人が行ったが、それは日系社会の一部であり、出稼ぎに行っていない日系人の方が圧倒的に多く、社会的な地位も高く活躍している人材がたくさんいる。

 日本移民がブラジルで子弟教育に力を注いだおかげで、すばらしい人材が生み出されている。その一例を佐々木さんは訪問した。日系2世の小野田フッチ校長先生のサウージ学園(保育園から小学校)と同じく2世の藤村ゆりさんが診療管理責任者のサンタ・クルース病院だ。二人ともお孫さんがいる世代のパワフルな女性だ。ここにJICA青年ボランティアとして現職教師の菅野静華さんと栄養士の牧野夏実さんが派遣されている。2人の活動を見て話しを聞いて、日本の若者が実際に体を動かし、ブラジル人の中に入って交流をしている姿を佐々木さんは頼もしく思った。

 「日本からのサポートだけでなく、日本の若者がブラジルでパワーアップして日本に帰った後、日本の役にも立つ。若者が両国交流して、つながりを持ち、未来の希望になる」と佐々木さん。

 さて、2人が最も目を輝かしたのは、やはりボールを蹴ったときだった。ブラジルと言えば不名誉ながら犯罪率が高いことが有名で、ここでは警察とは容赦ない怖い存在というイメージがある。日本で交番のおまわりさんとは、身近で困ったことがあると助けてくれる存在というのとは大違いだ。

 そこで、JICAと日本の警察庁は、ブラジルの要請に基づき、日本の交番システムを現地に導入するための技術協力支援を始めた。「地域警察活動普及プロジェクト」として交番を地域に設置し、警察と住民が寄り添って治安維持に努めるというすばらしいものだ。そして、興味深いのは”ブラジル版交番のおまわりさん”は、サッカーがうまいことだ。さすがサッカー王国。男子たるもの、歩くようになればボールを蹴るべしという伝統がある。サンパウロ郊外のタイパス地区の交番では地域の子供たちの教育の一環として警察官がサッカーチームを率いる。貧しい地区では青少年の暴力、ドラッグなど深刻な問題を抱えるが、交番がリーダーシップをとって子供たちにさまざまなスポーツの機会を与えているのだ。今回、佐々木さんたちは、交番を見学し、警察官から話しを聞き、そしてボールを蹴った!

 佐々木さんを筆頭に、元アルディージャのDFトニーニョ、秋元さん(元Jリーガー)に加え日本からブラジルにサッカー留学に来ている根上順太くん(桐蔭学園)が助っ人ジャポネスとしてちびっこチームに2人ずつ混じってゲームをした。冬とは思えぬ30度を超す日差しの中、大量の汗をかきながら、佐々木さんは、ワンタッチでゴールを決める活躍ぶりだった。

 2人ともサッカーに深く関わった方でありながら、サッカー王国ブラジルは初訪問ということで、来てみて初めて地球の反対側のブラジルは、とても日本と絆の深い国だったということがわかってもらえた。

 「日本とブラジルは深い関係があると知っていたが、過去の移民のルーツから今現在の日本とブラジルの関わり、絆と両国の未来につながることがたくさんある」と佐々木さん。

 この1世紀、ブラジルは移民から始まり日本人を温かく迎え入れてくれた。日本も既に何十年に渡ってブラジルのサッカー選手を迎え入れてきた。現在は欧州に目が向けられている日本サッカー界だが、基礎の基礎は日系ブラジル人、ブラジル人たちが大きな力となった。そして、今でもJリーグで最も多い外国人選手はブラジル人であることに変わりはない。秋元さんは、初めてのブラジルにもかかわらず、これまでのサッカー人生でブラジル人選手との交流で覚えたポルトガル語を駆使して現地の人の心をぐっとつかんでいた。

 日本は豊かな国ではあるけれど、日本だけでは生きていけない。国際協力という上から目線ではなく、他の国と助け助けられ、支え合って、互いに学び、よいところを交換する国際交流の気持ちが大事なのだ。観光だけでは味わえない現地の人々との交流から、お二人が感じたことを日本でぜひ伝えて欲しい。(大野美夏=サンパウロ通信員、元日系社会青年ボランティア日本語教師)

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