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J1最速500勝達成の鹿島 誰を引き抜かれてもいつの時代も勝てる理由

[ 2019年7月7日 05:40 ]

サポーターにあいさつをする安部(中央)ら鹿島の選手たち(撮影・篠原岳夫)
Photo By スポニチ

 常勝クラブがまた一つ、金字塔を打ち立てた。鹿島はホームで磐田を2―0で下した明治安田生命J1第18節、リーグ最速の500勝目を挙げた。J1開幕から9547日、全217人の選手と、スタッフと、サポーターで積み上げた白星が、一つの大台に乗った。

 
100の節目は97年4月の開幕神戸戦
200の節目は01年11月の東京V戦
300の節目は07年11月の浦和戦
400の節目は14年3月の仙台戦

 平均すれば5年半周期で節目を繰り返している。
 なぜ鹿島はいつも、いつの時代も、勝てるのか。
 その答えは、鈴木満常務取締役強化部長が主導してきたチーム編成にある。

 「勝ってタイトルを獲る」
 クラブ創設以来、受け継がれているジーコスピリット。それを元にした「勝つことへの執着」と「一体感を持ってファミリーで戦う」という、チーム編成における揺るがない2つの柱がある。
 勝つこと、一体感を持つこと。そのために鈴木氏が意識しているのは「適正な戦力」を整えることだという。過剰な戦力であれば必要以上の競争が生まれ、軋轢によって一体感が保てないこともあるからだ。
 「獲らないことも補強」
 鹿島にいると、他のクラブはあまり聞くことがない言葉を耳にする。「獲らないことも補強」は、そのうちの一つ。編成におけるこの考え方は、鹿島らしさにあふれている。鈴木氏は説明する。
 「例えば若い選手がいて、そこに“今は若くて物足りないから”と言って外国人を補強したりとか、日本代表クラスを補強したりだとかすると、若くて可能性のある選手が伸びることに蓋をしてしまう。だから、そこの成長度というか成長率も戦力補強だという意識を持たないと、育てられない」
 かつては小笠原が、大迫が、柴崎が、そうして意図的に「蓋」を取り除かれた環境の中で、育ち、伸び、中核に変わっていった。「でも」と鈴木氏は続ける。
 「それって凄く不安なんだよな。強化担当としては。周りからも叩かれる」。それでも、「とりあえず人を獲ろうかって言ってとりあえず獲ったことによる結果は芳しいものにはならない」ことを知っている。「周りのプレッシャーなり批判に耐えながら、我慢して、育つのを待てるかどうか」
 芽を育てる忍耐も、チームを成熟させてきた。

 移籍市場は年々変化している。「2010年以前というのは、20歳でレギュラーになって30歳までチームにいてくれる(算段)というのがあって、正直10年スパンくらいでチーム作りをしてくることができた」。今はもう、20歳を少し過ぎた若手が次々に海を渡るようになった。「今はこれだけ早く主力が抜かれているっていうような環境になってくると、それを待っている時間がない。移籍で獲ってそこを補強するというような循環になってきている」。生え抜きの多い鹿島にも、移籍で加わる選手が増えるようになった。
 
 例えるなら、「蕾」。
移籍で補強することが増えた今、“剪定”の段階にも、鹿島らしさはある。
 「移籍で獲る選手というのは、日本代表とかで自分の地位をもう確立して、独り立ちした選手をボーンと持ってくるよりも、三竿(健斗)や幸輝(安西)のように、若くてまだそこまで自分のステータスを確立してない選手を獲ってきて、ここの色に染めながら成長させていく。花開いたところを(獲りに)いくクラブもあるけれど、うちは蕾を獲りにいく」
 東京Vから加入した三竿は、安西は、鹿島に来るまでは無名に近かった。鹿島に来て、鹿島の色に染まり、日本代表に呼ばれるまで開花した。
 たとえ誰が抜かれようと、鹿島には蕾を見抜く目がある。蕾を育てる土壌がある。

 93年にJリーグが開幕してから今季で26年目に入った。クラブとして手にしたタイトルは、国内主要タイトルにACL制覇も合わせて20冠に上る。数々の優勝の瞬間を知る鈴木氏にとって、それでも最も印象的な「1勝」は93年の第1節だという。
 93年5月16日の名古屋戦、クラブの礎を築いた「神様」ことジーコ現テクニカルディレクターのハットトリックで、常勝の歴史は幕を開けた。
 Jリーグ開幕前、鹿島には臨海工業地帯で娯楽がなく、「若者が住みたくない町」と言われていた。Jリーグチェアマンの川淵氏から「99.9999%可能性はない」とJリーグ参入の可能性を伝えられたが、「0.0001%あるということですね」とクラブは食い下がり、川淵氏が諦めさせるつもりで言った「屋根付きの1万5000人収容のサッカー専用スタジアム」を、県の予算の一部をスタジアム建設費の一部に充てることで実現させた。
 「みんなにお荷物になるんじゃないかなって心配もされていて、そのスタートの試合だったので、プレッシャーも凄かった。あそこで5―0っていうのは、圧倒して勝てたっていうのは、クラブの自信にはなったし、周りへのインパクトも強烈なものがあった。あれが今のアントラーズに繋がってきているかなっていう思いは凄くある。あそこで負けていたら今のアントラーズはなかったと思う。それくらい、あそこに懸けていた。嬉しかったし、“これでやれる”っていうような自信が持てた試合だったなっていうのは、自分の中では凄くある」

 ただ、以降はない。あっても、印象として強いものはない。勝利の喜びを超える以上に、深く刻まれているものがあるからだ。
 今回の500勝という記録も、試合前に自身の元にメールが届いて、初めて気がついたくらいだった。
 鈴木氏は言った。
 「“次の1勝”というところを目標に、ずーっとそれの積み重ねだった。500勝より、三百何十敗していることが何とかならなかったのかっていう悔いの方が、大きい。勝った試合っていうのはその日嬉しくて次の日になったら忘れているけど、負けた試合っていうのは次の試合に勝つまでずーっと引っぱっているから。そういうもんだから」
 だから、鹿島は勝利に欲深くあれる。
 (波多野 詩菜)

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2019年7月7日のニュース