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平山、引退発表…かつての“怪物”J開幕1カ月前に異例の決断

[ 2018年1月27日 05:30 ]

FC東京時代の平山相太
Photo By スポニチ

 仙台は26日、FW平山相太(32)が現役引退することを発表した。11年在籍したFC東京から昨季に完全移籍で加入したが、昨年3月11日に左くるぶし付近の腱の脱臼で手術。公式戦に出場することなくシーズンを終えていた。昨年12月28日には契約更新が発表されたが調子は上向かず、新シーズン開幕が1カ月後に迫った時期での異例の決断となった。

 かつて“怪物”と称された長身FWが、スパイクを脱ぐ。平山はクラブを通して「度重なるケガのため、現役から退き、引退することを決断いたしました。開幕前の大事な時期にクラブに迷惑を掛けてしまうことを申し訳なく思っています。決断を尊重してくれたことに感謝しています」とコメント。昨年12月28日に契約延長が発表されたばかりだった。

 故障には勝てなかった。FC東京から移籍した昨季。昨年2月25日のリーグ開幕戦はベンチ入りしたが出番はなく、その後はメンバー外。練習試合で左くるぶし付近の腱を脱臼し、同3月11日に手術を受けた。全治3カ月と診断されたが、全体練習に合流できずに公式戦出場はなし。今季も状態は思わしくなく、チームの沖縄合宿に同行せずにリハビリを続けていた。

 福岡県出身の平山は国見高時代に高校選手権で史上初の2年連続得点王に輝き、歴代最多17ゴールを記録。筑波大を経て、05年にヘラクレスに加入した。05〜06年に31試合8得点と活躍したが、オランダの生活になじめずに帰国。06年9月からFC東京に11年在籍し、昨季から仙台に移籍していた。

 04年アテネ五輪代表には飛び級で選出されたが、08年北京五輪ではメンバーから落選した。国際Aマッチデビューとなった10年1月6日のイエメン戦でハットトリックを達成するなど、記録にも記憶にも残る選手だった。将来的には指導者になる希望を持っているが、現時点で今後の去就は未定。突然の引退劇だっただけに、クラブ側は本人と相談した上で、引退会見を開くかどうかなどの調整を進める方針だ。

 【平山相太の軌跡】

 アマチュア時代 国見高で高校選手権歴代最多となる通算17得点を記録。史上初の2年連続得点王も獲得した。高校生として唯一、アテネ五輪代表に選出。筑波大では1年時に関東大学1部リーグ制覇に貢献した。

 Jリーグ時代 10以上のJクラブからオファーを受けた中でFC東京に加入。11シーズンでJ1通算168試合33点、J2通算1試合0点を記録した。17年に移籍した仙台ではケガに苦しみ公式戦出場はなし。

 オランダ時代 ヘラクレスでのデビュー戦となった05年8月20日のデンハーグ戦でプロ初得点を含む2ゴールの活躍。05〜06年シーズンはチーム最多8得点を記録したが、生活になじめずに1年で退団した。

 ◆平山 相太(ひらやま・そうた)1985年(昭60)6月6日、福岡県北九州市生まれの32歳。田原小―田原中―国見高―筑波大―ヘラクレス―FC東京―仙台。J1通算168試合33点、J2通算1試合0点、天皇杯通算26試合15点、オランダリーグ通算32試合8点、ACL通算3試合0点、国際Aマッチ通算4試合3点。03、05年世界ユース(現U―20W杯)出場。04年アテネ五輪出場。座右の銘は「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」。1メートル90、85キロ。既婚。血液型B。

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