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ラオスリーグで英雄となった日本人選手

[ 2017年9月5日 09:30 ]

“ラオスのカズ”こと本間和生
Photo By スポニチ

 【大西純一の真相・深層】7月末に終わったラオス・プレミアリーグで14試合で15得点を挙げて得点王に輝き、MVP的な働きでチームを優勝に導いた日本人がいる。「ラオスのカズ」本間和生、37歳。日本ではほとんど知られていないが、ラオスでは英雄だ。14年にラオ・トヨタに加入し、今季で4年。チームは2位、優勝、2位、優勝と4年間で2度優勝。本間は14、15、17年と4年間で3度得点王に輝いた。

 「チームにうまくフィットできた。自分に能力があるとは思っていないが、点を取ることだけはできている」と、本間は振り返る。4年間の実績をみれば文句なしだ。

 「ウチのチームはレベルの高い選手が多いので、黙っていてもいいボールが来る。タイと似てステップワークが細かく、ボール回しもうまい」

 大宮東から埼玉県リーグの越谷FCを経てJ2群馬の前身・リエゾン草津へテスト入団、高校卒業後3年目だった。2年間在籍後、セルビア2部のマーチュパへ移籍。「人とのつながりで、選択肢もあまりなかった」というが、ここでチャンスをものにした。2年半で今度はハンガリーへ。セルビア時代の監督がハンガリーのチームの監督になり、本間も引っ張られた。

 ハンガリーでプレーした日本人はいまだに本間ただひとり。「運良く点が取れていて、話はいつも来ていた」と、9年半で9チームを渡り歩いた。その後半年間、所属チームがなかったが、ラオ・トヨタから話が来た。

 「選択肢が限られているので、流れのままに目の前のことを受け入れる性格」と、本間は言う。ラオスは13年から本格的にプロリーグができたばかりだったが、サッカーが合っていた。

 「サッカーはどこへ行ってもやることは変わらない。深く考えるタイプではなく、現地に行ってなじむタイプだから。それにラオスは人も優しく、東欧と比べると食事もおいしい」と、溶け込みやすかった。それでもラオスには日本人選手が10人以上、元Jリーガーもいるが、ここまで活躍しているのは本間だけ、海外で活躍できる資質があったことは確かだ。

 今年は代表の日程の関係で7月でシーズンが終わった。来季の契約更新はまだ結んでいないが、契約がまとまればラオスで5年目のシーズンになる。「点が取れなかったら辞めるけど、行けるところまでは行きたい」と、自主トレに励んでいる。

 海外で通用する秘訣を聞くと「結果を出そうというハートの強さ」と即座に答えた。「点が取れれば自然にロッカーで会話も生まれる」と、分析する。そして海外で成功を夢見る選手からアドバイスを求められるとこう答えるという。「まず日本から出て、自分の肌で感じてもがくしかない。多少は痛い目に合わないと」。

 本田や香川、岡崎ら海外の強豪チームで活躍する選手だけではない。本間のように、海外でチームを優勝に導き、得点王に輝く選手がいることは日本の財産。日本の価値を上げる真の存在になるはずだ。 (専門委員)

 ◆大西 純一(おおにし・じゅんいち)1957年、東京都生まれ。中学1年からサッカーを始める。81年にスポニチに入社し、サッカー担当、プロ野球担当を経て、91年から再びサッカー担当。Jリーグ開幕、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯フランス大会、バルセロナ五輪などを取材。

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2017年9月5日のニュース