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大宮・伊藤新監督“バルサ流”攻撃サッカーで残留を「毎試合勝ち点3目指す」

[ 2017年6月16日 10:10 ]

4日の鳥栖戦で選手に指示を出す大宮・伊藤監督
Photo By スポニチ

 監督が交代して約3週間、大宮はJ1残留を果たせるか。5月28日に就任した大宮の伊藤彰新監督(44)が、自らの目指すサッカーや戦い方などについて語った。

 ―監督に就任して2週間たったが

 クラブのためにやるしかないと思っている。どのようにクラブに貢献できるか、まずは残留を目指してやっていきたい。苦しい状況だが頑張っていきたい。チームとして厳しくやっていかなければいけないところもある。クラブがよくなるためにやっていくしかない。

 ―伊藤監督のサッカーは?

 僕自身は攻撃的なサッカーが好き。ここまでチームは失点が多く、得点が取れない状況。点取るためにはどうするかということで、自分がやりたいサッカーに合致している。4−3−3でも4−4−2でもシステムとは関係なく、攻撃的にチームを構築していきたい。相手に一度もボールを触らせず、自分たちでボールを持っていれば守備はしなくてもすむ。ただ、ずっとボール握っているだけじゃ勝てないので、イニシアチブをにぎり、ゲームをコントロールして攻撃的に戦いたい。

 −4−3−3のシステムを採用しているが

 きっかけはアカデミーで指導していた頃、バルセロナをよく見ていて「これだ」と思った。大宮にはもともとダッチビジョンというのがある。オランダ人のピム・ファーベック監督が来て植え付けたものだが、バルセロナももともとはオランダのサッカーで同じようなもの。目指すのはここだと思った。

 ―なぜ攻撃的なサッカーを?

 もともと自分も攻撃の選手でトップ下やサイドハーフだった。もちろん守備はやらなきゃいけない大事なキーファクターだが、自分たちが主導権を握ったアタックに興味があった。それに子供の頃はヨハン・クライフが好きだった。09年のCL準々決勝でバイエルン−バルセロナ戦(4−0、1−1)を見て、これを目指そうと思った。バルセロナのようなサッカーは常に攻撃的なことを考え、常にゲームをコントロールし、攻撃的な主導権をにぎりながら試合を進めていくところが楽しい。大宮も結果を残すためにいろいろとやってきたが、ベースはそこにあると思っている。

 ―今は厳しい状況だが

 ゲームをコントロールして攻撃的にイニシアチブを取って頂点を目指したいと思っている。ただ、今は残留争いをしているが、残留争いのためのチーム作りをすると、それを目指すだけのチームになってしまう。それよりどうしたら優勝争いに絡めるか。いろいろなチームを見ると、しっかり攻撃ができるチームが優勝していて、守備だけで優勝したチームは見当たらない。浦和、川崎F、広島、鹿島などの強豪は攻撃的に戦って勝っている。どの国のリーグを見ても同じ。大宮アルディージャというクラブの未来のためにもしっかりベースをつくっていきたい。

 ―残留のためだけなら守備の整備とよくいわれるが

 開幕の時点ならそれでもいいかもしれない。しかしもう14試合もやって17位にいる。守って毎試合勝ち点1を取っても、残留ラインに到達する数字(勝ち点)にはならない。残り20試合で勝ち点20では勝ち点28にしかならないので、選択肢になりえない。毎試合勝ち点3を取るためにやらないと残留できなくなる。

 ―チームもだいぶ変わったといわれているが

 攻撃が一番チームに足りないところだった。「点を取らないと勝てない」と、選手にも求めているし、「私のスタイルはこうだ」としっかり伝えている。だからといって守備をおろそかにしていいということではない。例えば相手が後ろでボールを動かしているときでも、ボールを奪った瞬間に自分たちはゴールに向かえるというところまでつくりたかった。それを選手に伝えて2週間たったが、いい現状になっている。選手は素直に聞いてくれるので、すごく感謝している。聞いた事を素直に表現してくれるし、このままうまく続けていれば、彼らの能力が開花してすごいチームになると感じている。しっかり結果を出していければ今の順位にいるチームではない。

 ―現役時代はどんな選手だったか

 父が大学や社会人でサッカーをやっていたので、1〜2歳からボールを蹴っていた。小学生の頃は大会に出るのが楽しかった。武南を目指したのは82年の高校選手権で優勝したのを見て「紫のユニホームがかっこいい」と、あこがれた。強豪校に行きたかつたので、第1志望だった。国士舘大を経て富士通(現川崎F)に入ったが、トップ下やサイドハーフ、2トップの一角などアタックのポジションが多かった。攻撃的にやるときにボランチに下がったこともあった。

 ―現役引退後は指導者を目指した

 現役を終わったときに何ができるかと考え、指導者も面白いなと思った。じつは教員の家系で、人に教えるというのは自分の頭のなかにあった。ただ、学校の教員というより、サッカーをプロフェッショナルとして教えていくことを目指した。

―大宮アカデミーで成果を出した

 チームを作っていきたいという思いは当時から強くあった。今やろうとしていることはアカデミーとそうは変わらない。ただ、選手のクオリティーが違う。私は運が良くて、大宮に入ったときからいろいろな人に巡り会えた。前監督の渋谷さんはアカデミーのときからいろいろ話を聞かせてもらい、影響を受けた。中村順育成部長も、岡本武行育成普及本部長もそうだ。サッカーのことだけでなく、人をどう掌握するなどマネジメントすることなどを教わった。こう言ったら選手はこう聞くとか、中学生はこうだ、高校生はこうだということなどだ。サッカーに関しては一緒にやっていた平岡靖成コーチと一緒にバルセロナの試合を見て、「グアルディオラがこうやっている」と、どうやったら近づけるかを研究しながらスタイルをつくってきた。今やっているのはアカデミーで長年やってきたものがベース、だから高山和真、藤沼拓夢、黒川淳史、川田拳登(現J2群馬)らが少年の頃から積み上げてきたものが今の形につながっている。

 ―影響を受けた指導者は?

 多くの指導者に影響を受けているが、選手として「自分がこうやればいいのか」というのは、川崎F時代のベット監督に教わったことが大きかった。当時あまり試合に出ていなかったが、トップ下に外国人がいたのにFWに回して自分をトップ下で使ってくれた。そのとき「こうして攻撃したら楽しい」というのを知った。その前の城福監督には「アシスト役はこうやる、ウラにはこう飛び出す」というのを教わった。チャンスメークの仕方で、1つターニングポイントになった。城福さんには今でいうムービングサッカーも教わった。動きながらこうしなさいというもので、この2人から学んだものが自分のスタイルとして確立された。

 ―指導者としての夢は?

 このクラブをJの頂点に持って行きたい。まずはリーグ初勝利。個人としてはあまり考えていないが、大宮を常勝軍団にするのが最大の夢。その先はどうなるかわからないが、英語は得意ではないので難しいかもしれないが、海外というのも少しは考えている。藤田俊哉さんが欧州でチャレンジしているが、成功するか興味深い。アカデミー時代にマンチェスターに選手を連れていって試合をしたことも影響している。

 ―監督になって日常は変わったか

 昨年からトップのアシスタントコーチだったので、少し変わったぐらい。ユース監督をやっていたし、あまり変わりはない。たいへんだという思いはない。毎日楽しいし、日々選手の成長や笑顔が見えて楽しい。そこに「チームが強くなるためには」ということを組み合わせていきたい。

 ―サポーターへ

 こういう状況で厳しい状況の中で、サポーターの皆様がNACK5スタジアム大宮に大勢来てくださることが選手の力になっている。サポーターとチームとスタッフが1つになっていかないと厳しい状況だが、サポーターの力を借りて1つになり、まずは残留、それ以降はひとつでも上を目指してやっていきたい。

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2017年6月16日のニュース