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熊本地震から1年 ロアッソ巻、未来を背負う子供たちに願うこと

[ 2017年4月14日 13:00 ]

サッカー教室を開き被災地の子供たちとボールを追いかける巻(2016年4月25日撮影)
Photo By スポニチ

 きょう14日で熊本地震発生から1年を迎えた。被災地に本拠を置くサッカークラブ、J2ロアッソ熊本。チームの顔であり、復興への象徴的存在としてグラウンド内外で走り続けてきた熊本県出身で元日本代表FWの巻誠一郎(36)が本紙の独占インタビューに応じた。故郷再生への強い願い、被災者との交流、プレーを通じての自問自答、16日の復興支援マッチ(対松本、えがおスタ)に向けた激白を、2回にわたってお届けする。(聞き手・東山 貴実)

 ――熊本地震から1年。現状をどう捉えているか。

 前進した物事もたくさんあるし、それと同時に新たな課題であったり、改善できない部分もたくさんあるのかなというのが感想ですかね。進歩した部分は人々の気持ちの部分。最初なかなか前向きになれなかった人も、自分の生活を徐々に取り戻して前向きになった。地震後ずっと使えなかった小学校が使えるようになって子供たちが自分の学校に帰ったり、体育館がギリギリ卒業式や入学式に間に合ったり、そういう部分は前進した部分。まだまだという部分は、根本的に家がなくなった人や、やっと更地になって“さぁ、ここからどうしよう”という方もたくさんいる。この間、阿蘇大橋の麓まで行ってきましたけど、まだ通行止めで通れないし、そこの下の立野地区の集落の皆さんはまだ自分たちの村にさえ入れない状態が続いている。本当は帰りたいんでしょうけどね。皆さんまだみなし仮設(住宅)で…。

 ――余震もいまだ続いている。

 小さな揺れがまだまだある。ウチの子(長男・小4、次男・小2、三男・4歳)たちもそうなんですけど、心の底から(あの時)の恐怖心が払しょくされるにはまだまだ時間が必要。心のケアも含めて。この前、僕が遠征で自宅に居なかった時にちょっと揺れて(4月9日に震度3を計測)、もう寝るときだったらしいけど、ベットから跳び起きて、みんなで妻のところに走っていった。「やっぱり怖いんだねぇ」と妻は言ってたけど、そうだよなと思いますね。

 ――地震後は精力的に避難所回りをしてきた。

 10回以上、行った避難所もあるんじゃないですかね。最初はもちろん励ましに行っていたつもりが、途中から気付けば、逆に僕がその時その時を全力で生きる活力、パワーをもらっていたというか、頑張らなきゃなというきっかけをもらっていたというか。いろんな人の話を聞いて自分を奮い立たせていた。結果として(被災者の方に)支えられていましたね。

 ――今年も被災地には。

 11日はオフだったので、これまで触れ合いを持った小学校の子供たちに(16日の熊本地震復興支援マッチの)招待券を配るために、広安西小学校、大津小学校など5校ぐらい回って、最後に立野地区に行って。去年一緒にサッカーをやった小6の子たちが中学生になって、制服姿で初々しかった。10分ぐらいで帰るつもりが、結局、4時間以上も話し込んで。楽しかったですよ。(地震から)時間がたつと、こうやって集まることも少なくなるので、継続的にみんなが集まれる場をつくりましょう、という話を最後にして帰ってきました。

 ――避難所やサッカー教室などでは常に熊本弁?

 ほとんどそう。標準語で接するより、熊本弁の方が親近感を持ってもらえるし、心も開いてもらえる。だから、できる限り、熊本弁で話そうと意識しています。おかげで、地震の後からだいぶ熊本弁は上達しました(笑い)

 ――復興元年と位置づけられる今年。

 ここからがまたスタート。支援を継続することが一番大事。特に僕らは日頃から熊本にいて、一番身近で被災者に接することのできる立場。そこは継続して何度も何度もやっていければいい。熊本城で全面復旧まで20年かかるということは、元の町並みを取り戻すには20年じゃきかない。その中で、僕がある一定の時期から子供たちとたくさんコミュニケーションを取ることに重点を置いたのは、長いスパンで見たら、熊本の未来をつくっていくのは子供たちだから。将来、その子供たちがロアッソで選手としてプレーしてくれたり、スタジアムにロアッソを応援に行くのが生きがいになってくれたり、もしかしたら中には社長になってクラブを支える側に回る人もいるかもしれない。必ず、子供たちから熊本を動かす人材が出てくると思います。そして、彼らには自分たちで(熊本地震を)見て感じたことを次の世代に伝えていってほしい。今は、彼らが大人になった時に、“あの時、あの人はこういう気持ちで来てくれていたんだな”と思い返してくれるだけでいいと思っています。

 ≪真央さん引退に 心から“お疲れさま”≫巻が、引退を表明したフィギュアスケート元世界女王・浅田真央さんの労をねぎらった。「小さな頃からずっとスポットライトを浴び続けて、僕らには計り知れないプレッシャーがあったと思う。国民の期待も含め、いろんなものを背負いながら、それに耐え続けてきた。本当に心から“お疲れさま”という感じですよね」。自身、W杯メンバーに選出された前後には自らの発言が真意とかけ離れて報道されたこともあり、「注目されると、自分のパフォーマンスと向き合わなければならない中で、いろんなことも言われたりする。それで僕もマスコミに背を向けた時期もあった。でも、真央ちゃんはいつも笑顔を絶やさず、前向きな発言が多くて、応援したくなるアスリートでした」と、芯の強さに感心していた。

 ◆巻 誠一郎(まき・せいいちろう)1980年(昭55)8月7日、熊本県下益城郡小川町(現宇城市)生まれの36歳。熊本・大津高、駒大を経て、03年に市原(現千葉)に入団。05年に日本代表に初選出され、06年W杯ドイツ大会出場。10年にロシアリーグのアムカル・ペルミに移籍。11年3月に中国スーパーリーグの深セン紅鑽、8月に東京Vに加入。14年から熊本でプレーする。国際Aマッチ38試合8得点、J1通算207試合53得点、J2通算183試合13得点。1メートル84、81キロ。血液型O。

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