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世界一の音色は永遠に…W杯のスタジアムに響いたホイッスル

[ 2016年12月10日 11:00 ]

 スタジアムに響く“世界一”の音色の正体は――。

 東京都葛飾区亀有に門を構える「野田鶴声(かくせい)社」は1919年(大8)に創業、ハーモニカの製作技術を活かし68年からホイッスルを製作している。社長の野田員弘(かずひろ)氏が制作したホイッスルは、高い品質と音色の良さが評価され82年のサッカーW杯スペイン大会の公認笛に採用。以降の大会はもちろん、2002年のW杯日韓大会でも使われた。その音色は“世界一”と称され、数々の名勝負を彩った。

 店舗を訪れると、入口には手書きの看板。6畳ほどの店内にはたくさんの賞状が掲げられている。サッカー、バレーボール、ラグビーなど競技場の隅々まで、高く揺らぐことなく響き渡る笛の音は、野田氏の芸術品だ。「選手と同じだけ走る審判の呼吸の邪魔になってはいけない。大切なことは、息が100%音に変わること」

 長年、ホイッスルの市場は英国製「アクメ」の独占状態だった。“世界”という大きな壁を越えるために野田氏は研究を重ねた。「このホイッスルの音には、世界を相手に戦ってき意地と責任があるからね。高く響く音は、誰にも真似することはできないよ」と胸を張った。

 98年サッカーW杯フランス大会。前年の“ジョホールバルの歓喜”を経て、日本が初めて世界の舞台を踏んだ大会だ。チームとは別に、同じ大舞台に立った日本人審判員・岡田正義氏の手に握られていたのも同社のホイッスルだった。ピッチの隅々はもちろん、スタンドで試合の行方を見守るサポーターひとりひとりにまで、高く澄んだ音が響き渡る。「うちの笛は聞いただけですぐにわかる。この音は、他社には出せない音なんだ」。

 世界中を熱狂させる同社のホイッスルの音は、東京の下町の社長が世界に挑む努力と責任が生み出した結晶だった。挑戦することの楽しさを熟知している野田氏の挑戦は終わらない――。

 と、ここまで読んでいただいた読者に告白したい。実は、この原稿を書いたのはちょうど10年前、06年12月のこと。当時学生だった筆者が、大学新聞の記者として野田社長に話を伺ったときのものだ。同年のサッカーW杯ドイツ大会の熱狂が落ち着いたころ、同社を特集したテレビ番組を見たことがきっかけで取材をさせてもらった。

 あれから10年。スポニチに入社して以来、営業畑で過ごした筆者は今年10月にサッカー記者となった。巡り巡って、毎日、練習場や競技場でホイッスルの音を聞く仕事に就いたこと、そして学生記者の取材を受けてもらえたことへの感謝の気持ちを伝えるために、亀有の細い路地をたどった。

 だが、10年の月日は街を大きく変えた。目当ての看板は姿を消し、かつて“世界一”の音色が生み出されたその場所にはマンションが建設されていた。そして、野田社長夫人から野田氏が亡くなったこと、それを機に昨年9月、同社を閉じたことをうかがった。技術の後継者はなく“世界一のホイッスル”は在庫として残っているものがすべてだそうだ。

 当時、取材内容をメモするために必死にノートに目を落としていたら、突然「ピー!」という音が響いた。筆者を驚かせようと、野田社長が自慢のホイッスルを鳴らしてくれたのだ。「いい音色ですね!」。2人で大きな声で笑った。

 たとえ後継者がいなくても、優れた歌や絵と同じく、世界一のホイッスルの評価は永遠に変わらない。プロの記者となった今、世界の舞台で、また野田社長の音色に会えることを心待ちにしている。(伊藤 靖子)

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2016年12月10日のニュース