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サッカー日本代表と五輪代表の融合を

[ 2016年9月1日 09:15 ]

 【大西純一の真相・深層】W杯アジア最終予選がスタート。18年W杯ロシア大会へ向けた戦いの最終ラウンドが始まった。だが、リオ五輪のメンバーから選出されたのは遠藤、浅野、大島の3人だけ。代表は育成の場ではないとはいえ、ちょっと少ない気がする。日本サッカー協会は五輪で指揮を執った手倉森監督をA代表にコーチとして入れる構想を持っているが、五輪代表とA代表をもっと融合させないといけない。

 1964年東京五輪前に日本代表を1年半指導し、アルゼンチンを破ってベスト8入りという快進撃に導いたデットマール・クラマー特別コーチが、離日の際に日本が強くなるための提言を残した。(1)国内リーグをつくる(2)芝のグラウンドを維持する(3)日本代表を毎年、欧州へ遠征させる(4)指導者制度を整備し、できればユースからトップまで同じ指導者で――の4点。東京五輪翌年に日本リーグができ、最近は芝も整備された。日本代表の欧州遠征は、少ないながらも実施。しかし、「できればユースからトップまで同じ指導者で」は、まったく進んでいない。手倉森コーチが実現すれば、前進したことになる。

 唯一、98年に日本代表監督に就任したトルシエは99年世界ユース選手権の指揮を自ら執り、小野伸二、高原直泰、中田浩二、稲本潤一ら主力とともに00年シドニー五輪、2002年W杯を戦い、結果を出した。

 当時のDF中田浩二氏も「シドニー五輪でも、みんなその先にある2002年W杯を見すえながらやっていた。チームはW杯に出られるが、自分が出られるかどうか、わからなくて競争もあったし、ヒデさん(中田英寿)の要求も厳しかった。五輪は終着点ではなく、その先があった」と、言っていた。やはり、ユースからトップまで同じ指導者でやることの効果を口にする。

 2002年W杯は開催国として予選免除で出場権を得たため「真剣勝負の場が少ない」と、懸念されていたが、世界ユース選手権や五輪を巧みに使ったわけだ。五輪はW杯本大会の中間年に行われ、年齢制限もあってリンクしにくいのも事実。しかし、海外でも強豪国の多くが、五輪とA代表をうまくリンクさせている。日本がさらに上へ行くためにも、五輪とA代表の関係をもう一歩進めて、一体感のある体制をつくってほしい。(専門委員)

 ◆大西 純一(おおにし・じゅんいち)1957年、東京都生まれ。中学1年からサッカーを始める。81年にスポニチに入社し、サッカー担当、プロ野球担当を経て、91年から再びサッカー担当。Jリーグ開幕、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯フランス大会、バルセロナ五輪などを取材。

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2016年9月1日のニュース