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大儀見 首位突破弾!格下に苦戦も3連勝でいざ決勝Tへ

[ 2015年6月18日 05:30 ]

<日本・エクアドル>試合後、椅子の上に乗りファンとの記念撮影に応じる大儀見

女子W杯1次リーグC組 日本1―0エクアドル

(6月17日 ウィニペグ)
 エース弾で首位通過を決めた。W杯カナダ大会で連覇に挑むなでしこジャパンは16日(日本時間17日)、1次リーグC組最終戦でエクアドルと対戦し、1―0で勝利を収めた。前半5分にFW大儀見優季(27=ボルフスブルク)が左クロスを押し込む決勝点を挙げ、初の1次リーグ首位突破に貢献。今大会初得点で、決勝トーナメントへ弾みをつけた。C組1位のなでしこは23日(同24日)の同1回戦でA、B、F組いずれかの3位と対戦する。
【試合結果 C組順位表 なでしこジャパンメンバー】

 そこには、うっ憤を晴らすエースの姿があった。前半5分、宮間の左クロスを大儀見はペナルティーエリア内で待ち受ける。菅沢が中央でつぶれながら右足でそらすと、ボールに突進。徹底マークしたDFの伸ばした足よりも、わずかに先に出た左すねで触り、決勝弾をぶち込んだ。勢い余ってインゴールのボールをもう一度蹴り上げ、右拳を振り上げながらドヤ顔だ。

 歴代5位となるAマッチ通算120試合目で、5月28日のイタリア戦以来3試合ぶりの通算54得点目。前回のゴールも右拳を突き上げるパフォーマンスで「今度は女の子らしい喜び方がしたい」と話したが、そんなことは忘れていた。「クロスが良かったので合わせるだけだった。ホッとしたというより、どうやってゴールを決めるかにこだわってやっている」。試合後にやっと冷静になったが、今大会待望の初ゴールは今後の爆発を期待させた。

 苦しみながら結果を示した。4年に1度の大舞台。世界屈指の点取り屋に成長した大儀見には徹底マークが付いた。「W杯の2試合は厳しく来られていて、ファウルになる勢いで来る選手もいる」。あうんの呼吸を見せた安藤も左足腓(ひ)骨外果骨折で離脱。菅沢との2トップもパスを受ける際にポジションが重なるなど、連係もうまくいかなかった。だが、エースに求められるのは得点という結果だけ。「確実にゴールを取っていかないと」。この試合は菅沢と縦関係を意識し、後方でボールを引き出した。それでも、得点への嗅覚だけは研ぎ澄ませていた。

 初めてW杯同時出場を果たした天才肌の妹・永里とは対照的に、真面目で不器用で負けず嫌い。なでしこが11年ドイツ大会を制す1年前の10年、日テレからポツダムへの移籍を決断。当時は日本人が認められていない環境だった。球際ではじき出され、パスもろくに来ない。同僚から白い目で見られ、練習の帰り道に泣きながら自転車をこいだこともあった。悔しさを忘れさせてくれたのが日々のトレーニングだった。自宅の前にはしご状の器具であるラダーを置き、敏しょう性を高めるため黙々と汗を流した。ゴールをひたすらに目指す求道者。その姿勢が貴重なゴールを呼んだ。

 格下相手に思わぬ辛勝だったが、エースの一撃にこそ価値がある。「大儀見は個人的にマン・オブ・ザ・マッチ。よくやってくれた」と佐々木監督は称えた。次戦は23日の決勝トーナメント1回戦。このゴールをきっかけに、なでしこの絶対エースが量産態勢に入る。

 ◆大儀見 優季(おおぎみ・ゆうき)1987年(昭62)7月15日、神奈川県出身の27歳。日テレ・メニーナから日テレを経て、10年にポツダム(ドイツ)に移籍。昨季はチェルシー(イングランド)で主将としてプレーし、今季からボルフスブルクに加入。11年にメンタルトレーナーの大儀見浩介氏と結婚。兄はタイ・プレミアリーグのラチャブリーFCに所属するFW永里源気。妹のMF永里亜紗乃(ポツダム)とは日テレで07~09年の3年間一緒にプレー。13年1月から7月にチェルシーに移籍するまではポツダムでも同時に所属。1メートル68、58キロ。血液型A。利き足は右。

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