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【ハリル新監督独占激白3】独裁者のイメージ、私じゃないからね

[ 2015年3月13日 09:30 ]

ドログバ(右)を擁するコートジボワール代表監督では、10年W杯前に解任され悔いが残った

 ――あなたをめぐっては強烈なパーソナリティーがよく話題になる(注5)。

 「フランスでは何人かが独裁者のイメージを私に張りつけて、これには凄く心を傷つけられた。そんなのは私じゃないからね。私が率いた選手たちに聞いてみればいい。ほとんどの選手たちは、今も私を評価してくれていると思うよ。多くの選手がのちに、私の指揮下で大きく進歩できたと言ってくれた。テクニックという点では、誰に対しても何らうらやましいと思わないだけのものを備えているつもりだ」

 ――これまでで一番ガッカリしたのは?

 「コートジボワール代表を率いての10年W杯南アフリカ大会出場が、ふいになってしまったことだね。全てプランニングしてあったのに、アフリカ選手権の準々決勝でアルジェリアに負けて敗退したため、W杯開幕の数カ月前に解任されてしまって…(注6)。私は(敗戦の原因が)グループの人間的な問題だと気づくのに、後れを取ってしまったんだ。ディディエ(ドログバ)とヤヤ(トゥーレ)が私のところにやって来てね、“実はみんな何日も前から眠れていない”って打ち明けたんだ。トーゴ代表のバスが襲撃された事件のせいだった(注7)。だから何人かの選手たちは、夜が恐ろしくて不眠になってしまっていた。私は怒りに燃えてしまった。“どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ”と思ってね。この問題にもっと早く気づいていれば、コートジボワールは、少なくとも今回のアルジェリアと同じぐらいのW杯を実現できたはずなんだ。これは確信しているよ。それどころか、もっと大きな成功を収めていたかもしれない。(W杯1次リーグで同組だった)ブラジルとポルトガルと戦うプランさえ既にできていたんだ」

 ――アルジェリアでは今もあなたが語り草になっています。

 「W杯からアルジェに戻った日のことを、私は生涯忘れないだろう。あの日、私は共和国大統領に迎えられ、街頭は100万人の人波で埋め尽くされていた。信じられないほどのサッカー熱だったね。一生の思い出だよ」」 (インタビュー=エルヴェ・プノ/L’EQUIPE、コーディネート・翻訳/結城麻里通信員)

 ※注5=パリSG時代に主審への執拗(しつよう)な抗議で2カ月間のベンチ入り禁止処分。ディナモ・ザグレブ(クロアチア)では11年にクラブ会長の戦術批判に激怒。試合中のハーフタイムに衝突して辞任した、などの逸話がある。

 ※注6=10年W杯南アフリカ大会出場を決めながら、同年2月のアフリカ選手権の準々決勝アルジェリア戦で延長の末に2―3で惜敗。同代表を率いて公式戦唯一の黒星だった。

 ※注7=アフリカ選手権の開幕直前、開催国アンゴラを移動中だったトーゴ代表のバスを武装勢力が襲撃。選手やスタッフ10人が死傷し、トーゴ政府が出場辞退を命じた。コートジボワールは1次リーグでトーゴと同組だった。

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