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仏記者が迫るハリル新監督 友人、家族、財産…戦争で全てを失った

[ 2015年3月13日 10:30 ]

「ようこそ日本へ」新監督に決まり来日したハリルホジッチ新監督

 日本代表の新監督に就任することが決まったバヒド・ハリルホジッチ氏(62)とはどういう人物なのか?旧ユーゴスラビア出身でアルジェリア代表を14年W杯ブラジル大会で16強に導いたボスニア・ヘルツェゴビナ人監督の素顔に、同氏と親交が深いフランス人記者が迫る。

 突然、バイド(バヒドのフランス語読み)が泣き崩れた。99年12月、リール旧市街のレストランで、彼とテーブルに着いていた時のことだった。

 1年半前からフランス2部リールの監督をしていたボスニア・ヘルツェゴビナ人は、この夜に2部最優秀監督賞に輝いたばかり。彼は感極まった表情でそこまでの長い道のりを打ち明け始めた。

 バイドという“人間”を理解するためにも、私たちは忌まわしい思い出のふたを開けるべきだろう。ボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争である。

 91年からほぼ2年にわたって、彼は重武器に対峙(たいじ)しなければならなかった。20年以上も前のことだが、バイドは戦争を戦った。「一人として人間を殺すことはなかった」とはいえ…。

 民族と宗教が入り乱れた旧ユーゴスラビア崩壊の過程でムスリム系(イスラム教徒)、セルビア系(正教徒)、クロアチア系(カトリック教徒)による民族間紛争で95年の停戦までに約20万人が死亡した惨劇。現役時代に攻撃的だったストライカーはしかし、戦争ではむしろ守備に回った。

 家族と100人ほどの人命を守る防戦だった。資金も労力も注ぎ込んで、故郷ヤブラニツァとモスタルからアドリア海方面に人々を避難させる人道救援活動を組織した。

 セルビアやクロアチアの民兵は、ムスリムであるバイドを殺したがっていた。狙撃の標的となり「モスタルで最初に負傷した人物になった」と明かす。さらにある日、家に入ってきた民兵を見たバイドは、隠し持っていたピストルを抜こうとして自分で自分の臀部(でんぶ)に発砲してしまった。弾丸は太腿まで貫通。全身不随になってもおかしくない重傷だった。

 ジェノサイド(大量虐殺)の形態で続いたこの紛争で、バイドは全てを失った。友人も亡くし、家族の一部も亡くし、財産も。「20年のキャリアで稼いだお金はねえ、全てあの国に置いてあったんだよ」。彼は涙を拭きながら回想した。「私のブラッスリー(軽食も出すカフェ)、私のパティスリ・ブーランジュリ(ケーキとパンの店)、私のベネトン・ブティック、私の家。何もかもが灰になってしまったんだ」

 指導者として階段を上り始める前、バイドにとっては雌伏の時だった。(フランソワ・ヴェルドネ/フランスフットボール誌、翻訳=結城麻里通信員)

 ◆フランソワ・ヴェルドネ 1972年11月17日、フランス生まれの42歳。ブザンソン大、パリのジャーナリズム学院を卒業後、96年フランスフットボール誌入社。02年からフランス代表担当。移籍部門責任者。ハリルホジッチ氏とは15年来の親交を持つ。

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