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元代表DF中田浩二が引退 鹿島では11冠貢献、奇跡Vで花道を

[ 2014年12月4日 05:30 ]

練習で笑顔をみせる中田浩二(左)

 常勝軍団を支えた名選手がユニホームを脱ぐことになった。鹿島は3日、元日本代表DF中田浩二(35)が今季限りで引退すると発表した。中田は自身の進退に関して11月中旬からクラブ幹部と話し合いを重ね、2日に引退を決断。逆転優勝の可能性が残っている6日の鳥栖との最終戦(カシマ)後にセレモニーと引退会見を行う予定だ。

 鹿島の黄金時代を築き上げたレジェンドが深紅のユニホームに別れを告げる。引退を決めた中田は「プロ選手としての葛藤はありましたが、アントラーズで現役を終えることが自分にとって最良であるという結論に至りました」と説明した。

 「この決断に至るには簡単ではなかった」と言うように、数カ月前から来季以降の進路を熟考。先月中旬にはクラブ幹部と何度も話し合いの場を持った。現役引退を決意したことを伝えたのは2日。クラブ側も功労者の決断を尊重し承諾した。

 98年に名門・帝京高から鹿島に入団し、同期のMF小笠原、MF本山、GK曽ケ端らとともに中心選手に育った。ボランチやセンターバックなど守備的なポジションでありながら、史上初の3冠を達成した00年はチャンピオンシップの横浜戦で勝利を決定付ける3点目を決めるなど勝負強さを発揮した。05年1月から4年間はマルセイユ(フランス)をはじめ海外でプレーしたが、08年7月に鹿島に復帰。国内16冠を誇る常勝軍団で、計11冠獲得に貢献した。

 日本代表では、各年代の世界大会で活躍。小野、稲本、遠藤、高原ら、黄金世代の一員として、99年の世界ユース選手権(現U―20W杯)で準優勝に貢献し、00年シドニー五輪にも出場した。A代表では02年日韓大会、06年ドイツ大会と2度のW杯を経験。日韓大会ではトルシエジャパンの代名詞にもなった“フラット3”の一角として全4試合でピッチに立ち、決勝トーナメント進出の原動力となった。ジーコジャパンではボランチ、サイドバックも務めるなど、ユーティリティーな選手として重宝された。

 03年に左膝じん帯断裂の大ケガを負いながら日本代表に戻るなど精神力の強さも見せたが、近年は故障に泣いた。両膝に爆弾を抱えながらのプレーを強いられ、今季は日本代表DF昌子やU―21代表DF植田の台頭もあり、リーグ戦は3試合の出場にとどまった。
 
 鈴木満常務取締役強化部長は「勝てる選手だった。人間的にもバランスが取れている」と今後、功績に配慮したポストを用意する。華々しい活躍を見せた名選手が、第二の人生を踏み出す。

 ◆中田 浩二(なかた・こうじ)1979年(昭54)7月9日、滋賀県大津市生まれの35歳。帝京高を経て98年に鹿島入団。海外では05年からマルセイユ(フランス)、バーゼル(スイス)でプレー。08年7月に鹿島復帰。日本代表では02年W杯日韓大会、06年W杯ドイツ大会に出場。J通算266試合33得点。国際Aマッチ通算57試合2得点。1メートル82、74キロ。左利き。

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