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父の夢かなえたアユー兄弟、そろって出場 ガーナ国民の夢も背負う

[ 2014年6月18日 09:45 ]

後半、同点ゴールを決めるガーナのアンドレ・アユー(中央)

W杯ブラジル大会1次リーグG組 ガーナ1―2米国

(6月16日 ナタル)
 ガーナのアユー兄弟がそろって踏んだW杯のピッチに、厳しい結果が待っていた。トップ下でフル出場した兄アンドレは0―1の後半37分に起死回生の同点弾。ペナルティーエリア内の左サイドでヒールパスを受け、左足アウトサイドでニアを打ち抜いた。弟ジョーダンも右サイドで先発し、後半14分まで兄の近くでプレー。しかし、チームは「2度負けたから国のプライドを懸けて臨んでくる」(アンドレ)と警戒していた米国のセットプレーに屈した。

 アユー家は3男1女。長男イブラヒム(現リールセ)も出番こそなかったものの10年南アフリカ大会のガーナ代表で、2大会にまたがり男兄弟全員がW杯選手となった。父は現役時代、「アベディ・ペレ」の愛称で3年連続アフリカ最優秀選手に選ばれた攻撃の名手。デシャン(現フランス監督)、ストイコビッチ(前名古屋監督)らとマルセイユでプレーして93年には欧州CL制覇を成し遂げた。通算33得点をマークしたガーナ代表ではW杯に縁がなかったが、息子たちが夢をかなえた。
 父の所属クラブが変わるたび各国を転々とした兄弟は、09~12年にマルセイユを指揮した父の元チームメート、デシャン監督の下で攻撃の才能を伸ばした。次男アンドレは10年W杯に20歳で出場し、最優秀若手選手にノミネートされる活躍。三男ジョーダンは1月にレンタル移籍したソショーで出番を増やし、初のW杯切符をつかんだ。「デカい大会でプレーしたことがないから、兄と一緒なのは安心」と言うジョーダンに対し「僕らが結果を出せば国民が喜ぶ」と意気込むアンドレ。2人でマルセイユの家に住み、ジョーダンが朝食を作るという仲良し兄弟は、次こそ笑顔で終了のホイッスルを聞くつもりだ。

 ◆アンドレ・アユー 1989年12月17日、フランス・スクラン生まれの24歳。マルセイユのユースから07年にトップ昇格。08年にロリアン、09年にアルルへレンタル移籍。ガーナ代表は07年に初招集され、通算49試合5得点。1メートル75、72キロ。

 ◆ジョーダン・アユー 1991年9月11日、フランス・マルセイユ生まれの21歳。09年にマルセイユとプロ契約。今年1月にソショーへレンタル移籍。代表通算14試合5得点。1メートル82、80キロ。

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