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ベーラミ 国籍取得から10年…3度目W杯でついに“恩返し”

[ 2014年6月17日 05:30 ]

<スイス・エクアドル>E・バレンシア(右)と競り合うスイス代表のベーラミ(AP)

W杯1次リーグE組 スイス2―1エクアドル

(6月15日 ブラジリア)
 3度目のW杯。スイスのMFベーラミにはささやかな目標があった。「過去2回よりいいプレーをして、最低1試合はフル出場したい」。初出場した06年ドイツ大会は足の付け根を痛め、1次リーグ最終戦に後半43分から出場したのみ。10年南アフリカ大会は第2戦で初先発したが、チリのMFビダルへの肘打ちで一発退場。スイス代表のW杯退場第1号となり、初戦でスペインを破ったチームも勢いを失って1次リーグ敗退に終わった。
【試合結果 スイス代表 メンバー E組順位表&日程】

 W杯通算3試合目の出場となったエクアドル戦はボランチで先発。11年のフィオレンティーナ移籍後、サイドアタッカーからコンバートされたポジションで目標のフル出場を果たした。後半ロスタイムには自陣ゴール前でのスライディングタックルでボールを奪い、カウンター。ファウルで倒されても立ち上がってプレーを続け、アドバンテージを見た主審に笛を吹かせなかった。パスをつないで劇的な決勝点をお膳立てしたベーラミは「これが俺たちのメンタリティー」と胸を張った。

 4つの公用語があるスイス。ドイツ語圏とフランス語圏の住民には対立の歴史があり、代表チームもその影響を受けてきた。ベーラミはさらに少数派のイタリア語圏ティチーノ州在住で、しかも旧ユーゴスラビアのコソボから紛争を逃れてきた移民。ミスでもすれば多数派のドイツ語圏メディアから、目立つ髪の色やファッションも含めて容赦なく叩かれた。

 移住当初は何度も強制送還されそうになった。それでもティチーノの人々に支えられ、04年にスイス国籍を取得。コソボのFIFA加盟が認められなかったこともあり、恨みと感謝の両方を抱いているというスイスで代表入りを選択した。「W杯は嫌な記憶しかなかったけど、今の俺は違う」。スイス全土を歓喜させて成長を証明した。

 ◆バロン・ベーラミ 1985年4月19日、旧ユーゴスラビア・コソボ自治州(現コソボ)生まれの29歳。5歳の時に家族とスイスへ亡命し、8歳でサッカーを始める。02年にルガノでプロデビューし、03年に当時セリエBのジェノアへ移籍。ベローナ、ラツィオ、ウェストハム、フィオレンティーナを経て12年に5年契約でナポリ加入。スイス代表は05年デビューで通算49試合2得点。1メートル84、78キロ。アルバニア国籍も持つ。

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2014年6月17日のニュース